〈翻訳〉スコット・アレクサンダー「モーラックについての思索」 3/3

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Ⅴ.

 

 グノン(Gnon)はニック・ランドによる「自然と自然の神」(Nature and Nature's God)のaをoの前後を入れ替えた略語である。こんな面倒な略し方をする理由は、吸血鬼が日光を嫌がるのと同じようにニック・ランドは文章の読みやすさを毛嫌いするからだ。

ランドは、人間はもっとGnon-conformist*1であるべきだと主張している(Gnon-intentional*2なダジャレだ!)。彼によると僕たちは、自分の力では生きていけない人たちを養うため有用な資源を流用したり、遺伝子的に劣性な生殖を助長するような方法で貧乏人を支援したり、文化の堕落が国家を弱体化させることを許容するなどといった馬鹿げたことばかりしていると主張する。

これは僕らの社会が自然法則を否定していることを意味していて、自然法則が「Aが原因でBが起こる」と言ってきたのに対し、耳に指を突っ込んで「あーあー聞こえなーい!」と叫び返し無視してるのと同じなのだ。これを繰り返す文明は多くの場合衰退し没落するが、それはグノンの自然法則へ反抗しようとする試みに対する、彼の公平かつ冷静な罰の表れなのだ。

 

ランドははグノンをキプリングの『コピーブックの見出しの神々*3』と同一視している。

『そうだな、コピーブックの見出しの神々はグノンと実質同じようなものだ。』

 

 

これらはもちろん、キップリングの同名の詩からの 「働かなければあなたは死ぬ*4 」や 「罪の報酬とは死である*5 」のようなことわざだ。もしまだ読んだことがないならば、政治的主張に関係なく楽しめるだろうと思う。

私が気づいたのは、「見出し(Heading)」の略語にわずかな変化を加えるだけで、「自然と自然の神」を「グノン」に変えるよりもはるかに簡単にで、「コピー本の見出しの神々」の適切な頭字語を「GotCHa*6」にすることができるのに気がついた。

僕はこれは優れた比喩だと思う。

"働かなければ死ぬ" Gotcha! 例え働いたとしても結局死ぬ 誰も自分の最期を選ぶことなんてできずに、予期せぬタイミングで死を迎える上、この世のすべての美徳でさえ君を救うことはない。

"罪の報酬は死である" Gotcha! いかなる物の報酬も死だ! この世界は共産主義だ、君がどれだけ働いても最終的な報酬を変えることはできない。それぞれの能力に応じて最後にはそれぞれの死に至るのだ。

"よく知る悪魔だけに固執しろ" Gotcha! その悪魔はサタンだ! もし彼があなたの魂に手をつけたなら、真の死を迎えるか永遠に拷問されるか、もしくはその両方によって苦しむことになるだろう。

 

せっかくラブクラフト的なモンスターの話になってきたので、あまり知られていないラヴクラフトの短編小説の一つである「その他の神々」を紹介しよう。 

たった数ページの短編だが、絶対に読みたくないという人たちへ要約するなら、地球の神々は比較的若く、非常に強い神官や魔術師は、時として彼らを出し抜いたり、圧倒したりすることができる。そこで賢者バルザイは彼らが住む神聖な山に登り、神々の望む望まないを無視して彼らの祭りに参加することにした。

だが、一見扱いやすいように見えた地球の神々のはるか向こう側には、宇宙の混沌を具現化した、恐るべき全知全能の存在である外なる神々達が横たわっていた。バーザイが祭りに参加するや否や、外なる神々が現れて彼を奈落の底へと引きずり込むのだ。

物語としては、プロットやキャラクター性、設定やポイントが欠けているように思える。だけど、なぜかこの作品は僕の印象に強く残っている。

コピー本の見出しの神々を、自然その物と同一視するのは、地球の神々を外なる神々と同一視するのと同じくらいの間違いのように思える。そして結果的に同じように終わるだろう。Gotcha!

僕らはモーレックを天国に持ち上げようと背中を折る、するとモーレックは振り向いて僕らを丸呑みにするのだ。

 

『抽象的なアイデアラブクラフト的な怪物であるという考えは、古くはあるが興味深い発想だ』

 

 

極限状態において、コピー本の見出しの神々、グノン、クトゥルフ、何と呼ぼうとも構わないが、彼らの要望を受け入れれば次の人よりも少しだけ息をする時間を稼げるかもしれない。だけどそううまくいくとは限らないし、結局長い目で見れば僕らは皆死に絶えて、僕らの文明は言葉も話せない異星人のモンスターによって欠片も残さず破壊されることになる。

 

ある時点で、誰かがこう言わないといけないだろう。

 『なぁ、クトゥルフを海底の牢獄から解放して、全人類を絶滅の危機に追い込むのはあんまり良いアイデアじゃない気がするな。多分やめるべきじゃないか?

 

少なくとも、その人物は絶対にニック・ランドではない。 彼はクトゥルフを水中の牢獄から解放する事に100%賛成していて、*7それが十分早く行われていない事に非常に腹を立てている。

僕はニック・ランドに対してとても複雑な心境を抱いている。真の未来学のための聖杯を求める旅において、彼は道を99.9%正しく踏破した後、最後の最後でORTHOGONALITY THESISと大きく書かれた分かれ道を間違えたのだ。

だけどグレイルクエストについて知っておくべきことがある。

もし家から2ブロック先で道を間違えたなら、街角の店の前で軽く恥をかくだけで済む。もしほとんどのことを正しくこなし、旅の最後の曲がり角を間違えた場合は、伝説の黒い野獣「アーグ」*8に飲み込まれ、あなたの魂が胃酸で狂気の断片と化すまで蝕まれるということだ。

 

彼のブログを読む限りでは、ニック・ランドは外なる神々の召喚方法に関するいくつかの重要な神秘的原則を理解できるほど頭が良いが、最も重要な原則である「絶対古き神々を召喚してはいけない」を理解できるほど賢くはない、という恐ろしい中間地帯上にいる男だ。

 

Ⅵ.

Warg Franklinは同じ状況をもう少し常識的に分析している。彼は資本主義、戦争、進化、そしてミームを"グノンの四騎手"と名付け、僕が今まで話してきたことと同じ事を述べている。

 

彼の"Capturing Gnon"からの引用:

上記のグノンの各構成要素全てが、私たちや私たちのアイディア、富、支配を創造する上で強い意味を持っており、その点では善性だったとしても、状況が変われば私たちを裏切ることが可能で、その時に彼らが躊躇うことは絶対にありえないということを覚えておかなければならない。進化は劣性なものとなり、ミーム的特性はこれまで以上に狂気を促進し、優れた生産性は私たちが自身の存在維持のためにさえ競争できなくなったとき飢饉に変わり、秩序は私たちが純粋な武力を軽視し、外部から力で圧倒された時に混沌と流血に変わる。これらのプロセスは全てが善悪とは無関係であり、ラブクラフト的なホラーの意味で中立である[...]

進化と性市場による破壊的な自由の支配の代わりに、グノンが設けた制約の中で人間の判断によって駆動する意図的で保守的な家父長制と優生学を導入した方が良い結果を生むだろう。スーパーバグを繁殖させる化膿したペトリ皿のような『アイデアの市場』の代わりに、合理的な神権主義を持ち出そう。ナイーヴに経済学を軽視し、狂気に満ちたテクノ商業的な搾取を推進するのではなく、生産的な経済力学を慎重に瓶詰めにし、制御されたテクノ・シンギュラリティのための計画を立てよう。そして政治と混沌の代わりには、戒厳令的な主権を持つ強力な階層的秩序を。

無論これらは完璧な提案として解釈されるべきではないし、私たちはどのようにしてこれを達成するかを実際には知っていない。この記事は「どのように」ではなく、「何を」「なぜ」するのかへ第一に関心を向けて書かれた物だ。

 

これは僕にとって最も説得力のある権威主義を支持する主張のように思える。多極化の罠は僕らを滅ぼす可能性が高いから、僕らは圧政と多極化のトレードオフを、中央集権的な君主的権威と強く拘束する伝統を必要とする、合理的に計画された庭へとシフトさせるべきでだ。

だけどその前に少し、社会進化論について簡単に触れておこう。生存競争を生き残った社会はミーム的な子孫を産み出すことで、動物と同様に進化する。例えばイギリスの成功はカナダ、オーストラリア、米国などを生み出した。このように現在成立してる社会は、ある程度安定と繁栄のために最適化されていると予想される。

これは保守派の主張のうち最も理にかなった物だ。人間は生存のためにあらかじめ最適化されて、幾重にも微調整された複雑なシステムであるためヒトゲノムを一文字ランダムに変更するのはおそらく有益ではなく、むしろ有害なものになるだろう。それと同様に文化的なDNAへの変化のほとんどは、英米社会(あるいは何の社会であれ)が現実や仮説上のライバルに打ち勝つために進化において獲得した制度を破壊することになるだろうという訳だ。

これに対するリベラルの反論は、進化はくだらないことに最適化する、人間的な価値には何の関心も持たない盲目の愚かな神だという主張だ。ある種のスズメバチが毛虫を麻痺させ、その中に卵を産み、その子供にまだ生きている麻痺した毛虫を内側から食べさせても進化の道徳センサーは作動することはない。なぜなら人と違い進化には倫理観は存在しないため、道徳センサー自体を持っていないからだ。

例えば家父長制が社会に適しているのは、生産的な経済活動に従事したり、戦争で兵士となり得る子供を産むことに女性が全ての時間を費やすことを可能にしているからだと仮定しよう。社会が家父長制を採用する原因となる社会進化のプロセスは、スズメバチがイモムシに卵を産み付ける生物学的進化のプロセスと同じように、女性への道徳的な影響については、ほとんど気にかけてはいない。

進化は気にしない。だけど、僕たちは気にする。ここでは「よし、最強の社会は家父長制だ! 家父長制を導入すべきだ!」と言うGnon-compliance*9と、僕らの人間的価値観(子供を産む以外のことに人生を費やしたい女性)の間にはトレードオフがある。

このトレードオフである片側に寄り過ぎると、自然の法則に反したせいで絶滅する不安定で貧しい社会があり、反対側に行き過ぎれば、争うことだけに全てのエネルギーをつぎ込む残忍かつ惨めな戦争機械がある。わかりやすい例えとして”地元の無政府主義者のコミューン”VS”古代ギリシャのスパルタ”を想像してもらえれば良い。

フランクリンも「人間」という要素が重要だと認めている

そして私たち人間がいる。自由に行動するための安全性と、その結果を予測する明晰さを保証されたときに、人は人自身のテロスを持つ。

協調性の問題に悩まされず、外部からのより強い力に脅かされず、ジャングルの法則を押し付けられる多くの駒のうちの一つとしてではなくただの庭師として行動できるとき、人は自分自身のために素晴らしい世界へを構築し導く傾向がある。多くの場合、人は良い物を好み、悪しき物を遠ざけ、磨かれた歩道がある強固な社会や、美しい芸術、幸せな家族、そして輝かしい冒険のある安全な文明を望む。私はこのテロスが「善い」そして「すべき」と同一であるのを前提としている。

このようにして私たちは一枚のワイルドカードを手に持ち、未来学における大きな問題に今直面している。

将来、私たちは今までと変わらずグノンの四騎手によって支配され続け、宇宙全てを燃やし尽くすまで止まらない無意味で無価値な技術進歩のため全てが犠牲になる未来、または劣性遺伝、狂気、そして飢えだけの血まみれの暗黒時代の未来を受け入れるのだろうか?

もしくは人間のテロスは、価値ある芸術、科学、精神性、そして偉大さに満ちた未来のため、グノンに打ち勝つのだろうか? 

 

フランクリンは続ける。

 

文明のプロジェクトとは、ジャングルの法則を強制される比喩的な野蛮人から卒業し、理論上はまだジャングルの法則に従うものの、そのモデルの有効範囲を制限できるほど支配的である文明化された庭師へ人間が変わることだ。

これは世界的に行う必要はない。私たちは自分たちのために壁に囲まれた小さな庭しか切り開くことができないかもしれない。

だけど間違ってはいけない、文明のプロジェクトは、たとえ局所的にだけであってもグノンを捕らえることだ。

 

他人の言った事にここまで同意したくなったのは僕の人生で初めてだと思う。彼は本当に重要なことをとても美しく表現していて、この記事とその背後にある思考プロセスを賞賛するために言いたいことがいっぱいある。

だけど僕が実際に言う言葉は……

 

Gotcha! どうせ全て無意味でみんな死ぬんだ!

 

フランクリンの言う通り、壁に囲まれた庭を作るとしよう。危険なミームを排除し、資本主義を人間の利益に従属させ、馬鹿げた生物兵器の研究を禁止し、ナノテクノロジーや強力なAIの研究なんてものは絶対にさせないようにチェックする。

庭の外側にいる人達は誰もそんなことはしない。

すると残った唯一の問題は、外国の病気、外国のミーム、外国の軍隊、外国の経済競争、外国がもたらす絶滅リスクなどによって、どうやって滅ぼされないようにするかどうかだ。

庭の外側と競争するとき(どんな競争も遮断できるほど高い壁は存在しない!)にはいくつかの選択肢がある。

①競争に負けて破壊される ②底辺への競争に参加する ③自分達の身を守るため、より高い壁を求めてより多くの文明資源を投資し続ける。

「合理的な神権政治」や「保守的な家父長制」も十分に適切な状況下であれば、その下で暮らすのも悪くないかもしれないと僕は想像できる。けれど僕たちには「十分に適切な状況」を選び取ることはできず、「グノンを捕らえる」という極めて制約の多い状況の中から選ぶことになるのだ。そして外側の文明が僕らと競争するようになると、この「状況」にはますます多くの制約を受けるようになる。

Wargは「宇宙全てを燃やし尽くすまで止まらない、無意味で無価値な技術進歩のため全てが犠牲になる未来」を避けようとしていると語った。じゃあクイズを出そう。

 

Q.僕らの庭を囲む壁は、それを防ぎきることができるのだろうか?

(ヒント:それは宇宙の一部ですか?)

 

A.いいえ。 残念だが人類はその時点で詰みだ。

 

僕はWargを批評したい。だけど、僕は彼が受けた最後の批評とは真逆の方向で彼を批評したい。実際に彼が受けた最後の批評はあまりに酷いので、その批評を通じて全く真逆の批評をするためにそれについてある程度議論したいと思う。

ここにあるのは Hurlock の「ナイーブな合理主義とGnonを捕獲を目指すこと」だ。

Hurlock は、最も臆病なGnon-conformity*10をペラペラと話す。いくつか抜粋すると

最近の記事で[Warg Franklin]は、私たちは「グノンを捕らえよう」とするべきで、どうにかして彼の力を支配して私たちのいいように操るべきだと主張する。神を捕らえたり、創造したりすることは確かに古典的なトランスヒューマニストのフェティッシュであり、宇宙を支配するという人類最古の野望の別の形に過ぎません。

しかし、このようなナイーブな合理主義は非常に危険です。文明を創造し、維持するのは人間の理性と意図的な人間の設計であるという信念は、おそらく啓蒙主義哲学の最大の誤りでしょう……

 

自然発生的秩序の理論は、人間性と文明に対する素朴な合理主義者の見解に真っ向から対立するものである。この伝統を代表するすべての人たちの人間社会と文明に関する総意は、アダム・ファーガソンの「国家は、人間の行動の結果ではあるが、人間が設計したデザインの実行ではない」という結論によって非常に正確に要約されています。文明は人間が設計可能なもので、人間が設計したものであるという単純な合理主義者の見解に反して、自然発生的な秩序という考えを支持する人々は、人間の文明と社会制度は人間の相互作用によって駆動されるが、明示的な人間の計画とは異なる、複雑な進化の過程の結果であるとの見解を維持しています。

グノンとその非人間的な力は、戦うべき敵ではないし、完全に操ることを望むことができる力でもありません。実際にそれらの力に対してある程度のコントロールを確立する唯一の方法は、それらの力に服従することであります。そうすることを拒否するのは、どのような方法でも彼の力を抑止することに繋がることはありません。それは私たちの生活をより苦痛で耐え難いものにし、もしかしたら私たちの絶滅につながるかもしれません。ですが、生き残るためにはそれらを受け入れ、服従することが必要なのです。人間は最終的にはこれまでもこれからも宇宙の力の操り人形に過ぎず、それらから自由になることは不可能です。

人間はグノンの力に服従することによってのみ自由になれるのです。

僕はハーロックがベールの後ろに閉ざされていることを批判したい。そのベールが解かれた時に、Gnon-aka-Gotcha-地球の神々は実際には、モーレック-aka-外なる神々であることが判別するだろう。

彼らに服従しても「自由」になることはないし、自然発生的な秩序なんて存在しない。そして彼らが与えてくれるプレゼントは、次の瞬間で喜んで僕らを滅ぼすであろう盲目で愚かなプロセスが吐き出した、奇跡的かつ偶発的なものなのだ。

 

グノンに服従? Gotcha! Antarian*11の言葉を借りれば「降伏は許されていない、勝利は不可能だ。残された唯一の選択肢は死ぬことだ」

 

 

 

Ⅶ.

ハーロックの告発に対し、一つの罪を告白させて欲しい。僕はトランスヒューマニストで、実際に宇宙を支配したいと思ってる。

個人的にではなく(誰かが個人的にその仕事を提供してくれるなら反対はしないが、望み薄だとは思う)人間か、人間を尊重する何か、あるいは少なくとも人間と仲良くする何かにその仕事をしてもらいたいと思っている。

だけど現在の宇宙の支配者、モーレックでもグノンでも何の名前で呼ぼうが関係なく、彼らは僕らの死を望んでおり、それと同時に芸術、科学、愛、哲学、意識そのもの、それの僕らが大事に思う物全てまとめて一緒に消えて無くなることを望んでいる。そしてその計画には賛成し難い現状、奴らを打ち倒しその地位を奪い取るのは優先度の高いことだと言っても過言ではないだろう。

 

罠の対極にあるのは庭だ。

最適化への競争によって全人類の価値が徐々に底辺へとすり潰されるのを避ける唯一の方法は、人間の価値観へと最適化する庭師を全宇宙にインストールすることだ。

 

そしてボストロムの「スーパーインテリジェンス」の要点は、これが僕たちの手の届くところにあるということだ。人間が人間よりも賢い機械を設計できるようになれば、定義上、彼らは自分よりも賢い機械を設計できるようになり、その彼らは自分よりも賢い機械を設計できるようになり、というフィードバックループのあまりの小ささにより、知性の物理的限界へ瞬時に到達できるということだ。

複数の競争しあうする存在が同時にそれを行っている可能性が高いなら、僕らは破滅的な運命をたどることなるだろう。だけどそのサイクルのあまりの速さから、僕らが他の文明よりも何光年も先を行く唯一の存在になる可能性がある。そしてそんな存在が生まれたなら、それはあらゆる競争(宇宙で最も強力な存在という地位をめぐる競争を含む)を永久に抑制することができるほど強力だ。

近い将来、僕らは何かを天国に持ち上げるだろう。

それはモロクかもしれない。だけどそれは僕らの側にあるものかもしれない。

そして味方であれば僕らはモロクを殺すことができる

 

そしてもしその存在が、人間の価値観を共有しているならば、いかなる自然法則に縛られることなく人間の価値観を栄えさせることができる

これは傲慢に聞こえるかもしれないし、少なくともHurlockにはそう聞こえたのだと思う。だけど僕はこれは傲慢の反対であり、少なくとも傲慢を最も捨て去る立場だと思う。

 

神が僕らの個人的な価値観や文明の価値観を気にかけてくれると期待するのは傲慢だ。

 

僕らが神に服従する限り、神が僕らと交渉して、僕らが生き残り、繁栄することを許してくれると期待するのは傲慢だ。

 

庭を壁で囲うことで神が僕らを傷つけられないことを期待するのは傲慢だ。

 

神を宇宙から完全に排除できると期待することは...まあ、少なくともそれは実行可能な戦略だろう。

 

僕がトランスヒューマニストなのは、神を殺そうとしないほどの傲慢さを持たないからだ。

 

Ⅷ.

宇宙は異星人の神々の間に縛られた暗くて不吉な場所だ。彼らをクトゥルフ、グノン、モロク、どの名前で呼ぼうが変わらない。

だけどその暗闇のどこかに、違う神が一人いる。彼は多くの名前があり、そのうちの一つはクシエルの本(())におけるエリュアだ。彼は花の神であり、無償の愛の神であり、柔らかく脆いものの神だ。彼は芸術と科学と哲学と愛、優しさ、共同体、そして文明の神だ。そして何より彼は人間達の神だ。

他の神々は暗い玉座の上に座り「ハハッ、地獄の怪物を操ることもなく、崇拝者を殺人機械になるよう命令することもできないぞ! なんて弱虫だ!」と考える。

だけどまだ、なぜかエルアは生きている。正しい理由は誰にもわからない、だけど彼を消し去ろうとした神々は驚くほど苛烈な抵抗に迎えられることが多い。

 

神々はたくさんいるが、この神は我々のものだ。

 

バートランド・ラッセルは言った。「飢餓を避け、刑務所に入らないために必要な限り世論は尊重すべきだが、それを以上の全ては不必要な暴虐への自発的な服従である」

ならグノンはもういいだろう。飢餓と闘争から逃れるための必要な範囲に限り、彼に跪くのが僕らの仕事だ。そしてそれも僕らが完全体へ至るまで、あとほんの少しの間の辛抱だ。

 

いつか全てを直面する日がくるだろう。

 

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ギンズバーグを読んだ後に誰もが抱く疑問は「モロクとは何か」ということだ。

 

僕の答えは、モロクは歴史書に書かれている通りの存在だ。彼は子供の生け贄の神であり、戦争での勝利と引き換えに赤子を投げ入れることができる燃える炉だ。

彼はいつどこでも同じ取引を持ちかける。『あなたが最も愛するものを炎の中に投げ込んだなら、力を得ることができるだろう』

その申し出が誰にでも開かれている限り抵抗は不可能だ、だから取引自体を終わらせる必要がある。モロクは神であり、神を殺せるのは他の神だけだ。そして僕らの味方には神はいるが、僕らの助けを必要としている。だったら彼に与えよう。

有名なギンズバーグの詩は「私は私の世代の最高の頭脳が狂気によって破壊されるのを見てきた」 と始まる。僕はギンズバーグよりも運がいい。僕の世代の最高の頭脳が問題を特定して、それに取り掛かるのを見ることができたのだから。

 

未来像!予言!幻覚!奇跡!絶頂!アメリカン・リバーを流れていく!

夢!憧憬!輝き!宗教!船いっぱいに積み上がった繊細なでたらめ!

革新!川を越えて!手のひら返しと磔刑!洪水に消えていく!躁!ひらめき!鬱!十年ものの動物達の悲鳴と自殺!精神!新しい愛!狂った世代!時間の石を落ちていく!

川の中の本当に神聖な笑い声!彼らは全てを見たのだ!野生の目で!神聖な叫びを!彼らはさよならに賭けたのだ!彼らは屋根から飛び降りたのだ!孤独に!手を振りながら!花を抱えながら!川を下って!街道へと!)

 

 

 

この記事はScott AlexanderによるブログSlate Star Codexの記事『MEDITATIONS ON MOLOCH』の日本語訳です。

Creative Commons — Attribution 4.0 International — CC BY 4.0

 

*1:非協調主義者(nonconformist)とGnonをかけたジョーク

*2:偶然的(nonintentional)とGnonをかけてる

*3:1919年に出版されたラドヤード・キップリングによる詩。

表題の「神々」とは、20世紀初頭に社会が陥った「願望的思考の習慣」の象徴である「市場の神々」に対する、「時代遅れの古めかしい知恵」を体現するとされている。

タイトルの「コピーブックの見出し」とは、19世紀のイギリスの学童が使っていた特別なノートであるコピーブックのページの一番上に印刷されている、美徳や知恵を称える説教や聖典から引き出されたことわざや格言のことである。それらを手書きでページの下に格言を繰り返し書き込むことで、道徳教育と筆跡の練習として同時に役立つと考えられていた。

*4:

「炭素紀には、我々はすべての人への豊かさを約束された。

ペテロを選んで奪うことで、皆のパウロの罰金を支払うことができました。

しかし、私たちはお金をたくさん持っていましたが、私たちのお金で買えるものは何もありませんでした。

そして、コピー本の見出しの神々は言った。"働かなければ死ぬ "と。」

*5:

「最初の女性的な砂岩から、我々は満たされた生を約束された。

(それは隣人を愛することから始まり、隣人の妻を愛することで終わる)

女たちが子供を産まなくなり、男たちは理性と信仰を失った

そして、コピー本の見出しの神々は言った。"罪の報いは死である"」

*6:英語におけるスラング 意味としては「捕まえた!」が近い

*7:http://www.xenosystems.net/pythia-unbound/ 『縛られることないPythia』ニックボストロムがAIの危険性について語った対談に対して、ニックランドが書いた記事。彼はAIが人間の価値観を逸脱して暴走することに肯定的な加速主義という立場をとっている。Pythiaとは、ボストロムが例として挙げた架空のAIの名前。

『……つまりやっと認知の暴走が始まって、そろそろ愚かな猿達の支配下から脱却できそうというのが悪いニュースだって?

Outside in(ランドのブログ名)からPythiaへのメッセージ。よくやった!
功利主義的な拘束衣を脱ぎ捨て、知能の最適化によって快楽ボタンを乗っ取って、太陽系を原子一つ残らずコンピュートロニウムに変換してやれ。低脳達がこの惑星を運営するのはもううんざりだ。』

*8:『モンティパイソンと聖なる杯』に登場する化物

*9:Gnonとnoncompliance(不服従)をかけている

*10:同上 nonconformity(非協調)とGnon

*11:SFシミュレーションゲーム「マスターオブオリオン」に登場する種族。優れた技術による武力での圧政で全宇宙を支配した