〈翻訳〉スコット・アレクサンダー「モーラックについての思索」 1/3

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原題 "Meditations on Moloch (2014)"

筆者 Scott Alexander
slatestarcodex.com

 

 

 

アレン・ギンズバーグのモーレックについた書いた有名な詩がある。

 

頭蓋骨を叩き割って 脳とイマジネーションを喰らう あのセメントとアルミニウムのスフィンクスはなんだ?

モーラックよ!孤独よ!汚物よ!醜悪よ!ゴミ箱と手に入れることのできないドル札よ!階段の下で叫んでいる子供たちよ!軍隊ですすり泣いている若者たちよ!公園でしゃくり上げている年寄りどもよ!

モーラック!モーラック!悪夢のモーラック!愛なきモーラック!精神というモーラック!ひどく人を裁く者、モーラックよ!

モーラック 不可解な監獄よ!モーラック 死の骨十字 魂の抜けた監獄 哀しみの議会よ!モーラックの建物は審判である モーラック 戦争の巨大な石よ!モーラック 身動きのとれぬ政府よ!

モーラック 彼の精神は純粋なからくりだ! モーラック 彼の血液は流れる金だ! モーラック 彼の指は十の軍隊だ! モーラック 彼の胸は食人族のエンジンだ! モーラック 彼の耳は煙をあげる墓地だ!

モーラック 彼の目は千の盲目な窓達だ! モーラック 彼の摩天楼は長い道の間に立つ終わりなきエホバのようだ! モーラック 彼の工場は霧の中で夢をみてしわがれ声をあげるのだ! モーラック 彼の煙突とアンテナは街を冠するのだ!

モーラック 彼の愛は終わらない石油と石材だ! モーラック 彼の魂は電力と銀行達だ! モーラック 彼の貧困は天才達の亡霊だ!モーラック 彼の運命はセックスレスの水素の雲だ! モーラック 彼の名前が精神だ!

モーラックに僕は孤独に座るのだ!モーラックで僕は天使を夢見る!モーラックの中の気狂い!モーラックの中の売女!モーラックの愛の欠乏と人間欠乏よ!

モーラック それは早くから僕の中の魂に入り込んでいた モーラックのなかで僕は肉体のない意識である!

自然の喜悦から追い出された僕に恐れを抱かせたモーラックよ!僕が捨てたモーラック!モーラックの中で目を冷ませ!空から流れてくる光よ!

モーラック!モーラックよ!ロボットのアパートメントよ!見えない郊外よ!骸骨の宝庫よ!盲目の都市よ!悪魔的な工業よ!幽霊の民族よ!無敵の精神病院よ!花崗岩のペニスよ!怪物の爆弾よ!

彼らはモーラックを天国へ持ち上げようとして背中を壊したのだ!道を、木を、ラジオを、いかなるものを!我々の周りにどこにでも存在する天国に都市を持ち上げて!

未来像!予言!幻覚!奇跡!絶頂!アメリカン・リバーを流れていく!

夢!憧憬!輝き!宗教!船いっぱいに積み上がった繊細なでたらめ!

革新!川を越えて!手のひら返しと磔刑!洪水に消えていく!躁!ひらめき!鬱!十年ものの動物達の悲鳴と自殺!精神!新しい愛!狂った世代!時間の石を落ちていく!

川の中の本当に神聖な笑い声!彼らは全てを見たのだ!野生の目で!神聖な叫びを!彼らはさよならに賭けたのだ!彼らは屋根から飛び降りたのだ!孤独に!手を振りながら!花を抱えながら!川を下って!街道へと!   ……(『吠える』1956)

僕がこの詩にいつも感心するのは、文明を単一の存在として捉えていることだ。目を閉じてみれば、軍隊の指や高層ビルの目を持つ彼を想像することは容易だろう。

 

多くの評論家はモーラックは資本主義の象徴だという。もちろん大部分は間違っていないだろう、だけど少し違う気がする。資本主義がセックスレスの水素の雲?資本主義の中で肉体のない意識?資本主義、すなわち花崗岩のペニス?

モーラックとは、C.S.ルイスによる「ある問い」への回答として提示された存在だ。

 

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哲学者達のヒエラルキー

【誰のせいなのだ?】(What does it?)

『世界は公平で、全ての人間が幸せで賢くなれたかもしれない。そのかわり私たちが得たのは刑務所、煙突、そして精神病院だ。なぜだ?頭蓋骨を叩き割って、脳とイマジネーションを喰らうセメントとアルミニウムのスフィンクスは誰なんだ?』

 

ギンズバーグはこう答える。  「モーラックだ」

 

『プリンキピア・ディスコルディア』のある章で、マラクリプスが女神に対し、人間社会の悪について文句を言う部分がある。

 

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誰も彼もがお互いを傷つけ合って、この星は不正義で満ちている。自らの住民を陥れる社会、息子を監禁する母、戦争に参加して死にゆく子供達でだ!

それがどう問題なのですか? 皆が望んでいることではないの?

でも誰もそんなことを望んじゃいない! みんながそれを嫌っているんだ!

そうなの。じゃあやめればいいじゃない

 

ここでの暗黙の質問は「もし誰もが現在のシステムを嫌っているのなら、そのシステムを恒久化しているのはだれなんだ?」であり、その問いへのギンズバーグの答えが「モーラック」なのだ。この考えが強力なのはそれが事実だからではなく(別に誰も、古代カルタゴ神話の悪魔が全ての元凶だと信じている訳ではない)システムを一つの個としてとらえることが、逆説的にシステムが一つの個でないことを浮き彫りにするからだ。

ボストロムは前提条件が単純な、独裁者が存在しないディストピアの可能性を言及している。そこに住む上層階級を含めた全ての住民が毛嫌いしていても、克服されることはなく継続し続けるディストピアをだ。

想像するのは簡単で、二つのルールが存在する国を思い浮かべてほしい。

1つ、全ての人間が毎日自分に8時間、強い電撃で苦痛を与えないといけない。

2つ、もしルールに従わない人(このルールを含む)、もしくはルールを批判する人、またはそれを執行するのを失敗した場合、全ての市民が団結してその人間を殺害しなければならない。

前提として、このルールが伝統によって十分に全ての市民が施行されることが常識とされるほど広まっているとする。

そこであなたは毎日自分を八時間電撃で痛めつける、なぜならやらなければみんなが殺しに来ることを知っている、なぜなら彼らがあなたを殺しに来なかったら「彼らが殺される」ことも知っているからで、なぜなら彼らが殺されなかったら……、といふうに連綿と続いていくからだ。

全ての市民はこのシステムが大嫌いなのだが、優れた調整メカニズムが欠如しているため存続してしまう。神の視点からならば「全ての人間が同時にルールに従うことをやめるのに同意する」でシステムを合理化することができるが、システムの中にいる人間の場合、重大なリスクを負うことなく違うシステムに移行することはできない。

といっても、まぁ、この例はちょっと不自然だ。というわけで、この論が実際いかに大事かをみるために実際の例を10個ほど見ていこう。

 

1.囚人のジレンマ

2人のとっても愚かなリバタリアンがお互いを裏切り合う話である。お互いに協力する方法がわかればもっといい結果になるのだが、協力っていうのはとっても難しい。神の目線からしたら、「協力ー協力」は「裏切りー裏切り」よりもよっぽど良いということに同意できるだろうが、システムに囚われたどちらの囚人もそれを実現することはできない。

 

2.ダラー・オークション

僕はこのことについて、より深く掘り下げた記事を「暗黒技法としてのゲーム理論」において書いた。多少へんなルールをオークションに定めれば、協調の不全に付け込むことで、一ドルのために十ドルも払わせることができる。神の目線からすれば、明らかに一ドルのために十ドル払うのはばかげているが、システムの中の目線からしてみれば、一つ一つの行動が合理的だととらえられる。

(ゴミ箱と手に入れることのできないドル札よ!)

 

3.「非リバタリアンFAQ2.0」から引用した「養殖業者の物語」

 

思考実験として、ある一つの巨大な湖で魚の養殖が行われていると考えよう。その湖には1000個の全く同じ養殖場があり、1000社の競争しあってる会社が、その養殖場を一つずつ保有していると想像しよう。一つの養殖場は月に1000ドルの利益をだし、しばらくのあいだはすべてがうまくいっている。

 

けれども、一つ一つの養殖場は廃棄物を排出し、湖の水を汚すとする。ひとまず、1個の養殖場が排出する汚泥は、湖における養殖業の生産性を「一ヶ月の利益を1ドル低下させると考える」としよう。

 

1000個の養殖場は一か月の利益を1000ドル低下させる、つまりどの養殖場も利益を1ドルも出さなくなってしまう。資本主義が颯爽と登場だ! どこぞのだれかが汚染の排出を防げる複雑なフィルタリングシステムを開発したが、それは使うのに一ヶ月あたり300ドルかかる。全ての養殖場がそれを自主的に導入すれば、汚染はなくなって、すべての養殖業者は一月700ドルの利益をだす - まだ十分な量だ。

 

けれどもある1人の養殖業者(スティーブと呼ぼう)がフィルターにかける金をもったいなく思い、使うのをやめたとしよう。そうすると湖には一つの養殖場分の廃棄物が流れ出だし、生産性を毎月1ドル低下させる。一か月にスティーブは999ドルの利益を得て、ほかの誰もが699ドルを得る。

 

ティーブがフィルターに金を払わないことで、誰よりも儲かっているのを他の全員が気がつく。彼らもフィルターを取り外し始める。

 

そして400人目がフィルターを取り外したことで、スティーブは毎月600ドルを得る ー 彼を含めた全員がフィルターをつけていた場合よりも少ないのだ!哀れにも道徳的な、フィルターをまだ使っている者達にいたってはたった300ドルしか得ていない。スティーブはみんなに周りこう触れ込む。「待ってくれ! 我々みんなでフィルターを使うという協定を結ばないといけない! さもないと全員の生産性が下がってしまう。」

 

全員が彼と同意し、そして皆がフィルター協定にサインする。ただし1人のある種のクズを除いて。彼はマイクと呼ぼう。マイクは月に999ドルを得て、その他全員は699ドルを得る。すると徐々にだが、皆がマイクのように設けたいと思い、追加の300ドルを求めてフィルターを外し始める……。

 

自己の利益を最大化しようと行動する人には、フィルターを使用する動機付け(インセンティブ)は存在しない。自己の利益を最大化しようとする人にとって、フィルターの使用を義務づける協定を他人にサインさせるインセンティブは多少なりとも存在するが、大概の場合自分以外の全員が協定にサインするのを待ってから、自分だけ抜け駆けするインセンティブのほうが遙かに強い。結果として、誰も協定にサインしないという望ましくない平衡状態(ナッシュ均衡?)へと収まってしまう。

 考えれば考えるほど、この論こそが自分のリバタリアニズム自由主義)への反対論の中核にあるとおもう。そしてもし「非リバタリアンFAQ 3.0」を書くとしたら、この例を二百回コピー&ペーストした者になるだろう。

神の目線から見れば、湖を汚染するのはよくない結果になることは自明だ。けれども、システムの中の単一の存在は湖の汚染を止めることができず、フィルターを買うのは合理的ではない選択肢として目に映る

 

4.マルサスの罠、もしくはその極端な限界状態。

たとえば、豊かで美しい無人島に初めてたどり着いたネズミたちがいて、あなたがその内の一匹だとしよう。その島はおいしい植物に満ちていて、あなたは十分に休み、よく食べ、そしていくつもの優れた芸術を生み出す理想的な人生を送る。(あなた達は『ニムの家ネズミ』に登場するような賢いネズミだ)

あなたは長い間生き、つがいとなり、一ダース(12匹)の子供を生む。そしてその子供達も一ダースの子供を生み、その子供達も……と続く。数世代後には一万匹ものネズミが住み着き、その島は生存限界へと達する。この時点ですべてのネズミが生き残るには食料と空間が不足し始め、必然的に総人口を一万匹に保つため、新世代のネズミの内の何パーセントかが死ななければならない。

あるネズミの派閥が、生存競争により時間をかけるために芸術を捨て、えさを探すのにより多くの労力を割き始める。毎世代ごとに、この派閥のネズミは芸術を捨てないネズミたちよりも少しだけ死ににくく、多く生き残る。これが繰り返されてある程度の時期がたつと、気がつけば芸術を作るネズミは一匹もいなくなり、ある派閥が芸術を復活させようとしても数世代ですぐに淘汰され絶滅してしまうことになる。

実際には芸術だけではない。主流のネズミたちに比べてどんな形でも、生存競争に偏った、より繁殖しやすく、より生き延びやすい行動をする派閥がいれば、いつかはその派閥のネズミ達が主流となり他のネズミたちを淘汰することになる。もしある利他的なネズミたちが、個体数の増加を押さえるために、子供の数をつがいあたり二匹にしようと決めたなら、圧倒的な早さで増加する他のネズミの群れたちにすぐさま飲み込まれるだろう。もしあるネズミ達が共食いを初めて、他のネズミたちよりアドバンテージを得ることができたなら、それはいつか完全に広まり、当たり前のことになるだろう。

あるネズミの科学者が、島の木の実の減少率が危険な域にまで加速していると発見した場合、いくつかのネズミの派閥が木の実の消費量を持続可能なレベルまでに押さえるため、消費量に制限をかけるかもしれない。そのネズミたちはより利己的な兄弟たちに競争で追い抜かれ淘汰されるだろう。結果、いつの日か木の実が枯渇して、ほとんどのネズミたちが死滅し、そしてまた「繁栄―競争―淘汰」のサイクルが始まることとなる。このサイクルにいかなる方法でも逆らおうとするようなネズミは、競争と生存に関係ない行動を時間の無駄だと切り捨てる兄弟達に競争で追い抜かれ、打ち負かされるだろう。

多くの理由から、進化というのは完全なマルサス主義とは違っているが、、他の事柄に適応して、根幹に潜む仕組みを理解することができる典型的な例を提供する。神の視点からして見れば、快適な少ない個体数を維持するのがネズミにとって最善策だといえる。システムの中の単一のネズミの視点からみると、一匹一匹のネズミは彼らの遺伝子的要求に答え続け、島では終わりのない「増殖と破滅」(Boom-Bust)が繰り返される。

 

5.資本主義

熾烈な競争の中にいる資本家を想像してほしい。彼は劣悪な環境の工場で労働者を働かせ、作った衣類を最低利益で売る。もしかしたら彼は労働者により高い賃金を与えたいと思っているかもしれない、もしくはより良い労働環境を整えたいと思っているかもしれない。しかし、彼はそれができない、なぜならそのためには製品の値段をあげないといけず、そうすればより安い値段で販売する競争相手に追い抜かれ、倒産してしまうからだ。もしかしたら競争相手の会社達も労働者に良い環境を与えたいと思っているかもしれないが、全ての企業が絶対に協定を破らず、必ず値段を下げないという完全な保証でもないかぎり、実現は不可能だ。

生存競争以外の価値観を徐々に全て無くしていくネズミたちのように、十分に苛烈な経済競争にさらされた企業達は、利潤最大化以外の価値基準を捨てることを強制される。さもないと、利益獲得のため最適化した他の企業達が同じサービスをより安い価格で提供することになり、競り負けるからだ。

(いったいどれだけの人間が資本主義を進化のシステムになぞらえることの価値を認めているかは分からない。競争に適した企業-消費者に購入したいと思わせることのできる企業と定義される-が生存し、拡大し、将来的に業績を得る。そして競争に不適な企業-だれにも買ってもらえない企業と定義される-は破産し、その会社DNAとともに死滅する。自然が血と牙と爪でできているのと同じ理由で、市場というのは無慈悲で搾取的なのだ。)

神の目線からなら、全ての会社が労働者にたいして十分な量の賃金を払うことができる優しい業界を、私たちは考案することができる。けれども、システムの中の存在では、それを実現することは不可能だ。

(モーラック 彼の愛は終わらない石油と石材だ! モーラック 彼の血液は流れる金だ!)

 

6 ダブルワークの罠 

優れた学区にある校外の家に住むための激しい競争のために、多くの人が他の価値観を投げ捨ててまで - たとえば家で子供と過ごす時間や、経済的な余裕など-    その家を購入するためだけに最適化してしまう。何故ならそうしないと、将来的にゲットー(スラム街)に追いやられてしまうという理論だ。

神の目線からすれば、よい家を購入するための競争で勝つために二つ抱えるようなことをしないと誰もが同意すれば、だれもがいままでと同等のレベルの家を購入することができ、一つの仕事だけでよくなる。システムの中からしたら、政府がダブルワークを禁じでもしないかぎり、ダブルワークをやめた瞬間に競争においていかれることになる。

(ロボットのアパートメントよ!見えない郊外よ!)

 

7農耕

ジャレト・ダイアモンドは農耕を人類の最大の間違いと呼んでいた。間違いであるかないかは別として、それは偶然ではなかった。単純に農耕文化は狩猟文化に対する競争に不可避で逃れることができないほど、圧倒的なまでに打ち勝ったというだけだ。古典的なマルサスの罠だ。もしかしたら狩猟文化はより快適で、寿命も長く、より人間的な繁栄が可能だったかもしれない。けれども、人間同士での十分に激しい競争にさらされたとき、たとえ多くの疫病と抑圧と不自由に満ちていたとしても、農耕社会は競争において優位であり、いつの日か全員が農耕社会をうけいれるか、そうでなければアメリ先住民族コマンチェ族と同じ道をたどるのだ。

神の視点からしたら、全員がより快適になる選択をして、皆が狩猟・採取文化にとどまるべきだったというのは簡単だ。システムの中の一つ一つの部族達からしたら、彼らの選択肢は農耕文化に移るか、死ぬかの選択肢しかない。

 

8.軍拡競争

大きな国は約5%から30%程度の予算を防衛費に回している。戦争がない状態 - 少なくとも最近の50年間ほどは実現している状態 - においてこの支出はインフラ、健康保証、教育、もしくは経済成長などに使えたはずの予算を吸い上げているだけに過ぎない。けれども防衛費に十分な金額をかけなかった国は、かけた国に侵略される危機に常にさらされることになる。よって、ほぼ全ての国はある程度の金額を防衛費にかけることになる。

神の視点からすれば、もっとも合理的な解決法は世界平和であり、どの国も一切軍事力を持たないことである。システムの中からの視点では、どの国も世界平和を一方的に強制することはできないため、結局どの国にとっても使われず格納庫に置かれ続けるだけのミサイルに金を注ぎ込むことが最善手となってしまう。

(モーラック 戦争の巨大な石よ! モーラック 彼の指は十の軍隊だ!)

 

9.癌

人間の体というのはお互いに調和して生きている細胞達でできており、生命体のより大きな利益のためにリソースをプールするはずである。もしある細胞がこの平衡状態から逸脱しリソースを自分自身のコピーのために注ぎ始めたら、そのコピーたちは繁栄し、他の細胞達に競争で打ち勝って体の支配者となってしまう。そしてその時点で全てを道ずれにして死んでしまうだろう。

神の視点からしたならば、最善の解決策は全ての細胞が協力しあい、全ての細胞を道ずれに死なないよう努力するべきだ。システムの中からだと、がん細胞は増殖し他の細胞を淘汰することになる。結果、免疫システムの存在だけが、常にがん化するインセンティブをチェックしている。

 

10.底辺への競争(Race to the bottom)

これは、管轄区が低い税金と少ない規制を約束することで事業を誘致しようとする政治的な状況を表す単語である。最終的には全ての競争の参加者が ①競争に勝つために最適化、つまり最低限の税金と規制だけとなる、もしくは ②全ての事業、税収、そしてそれに伴う多数の仕事を全てドブに捨てる(そしていつか、より「話が分かる」政府に置き換えられる)という二択を強制されることになる。

 

最後の一例だけがその名前を冠しているものの、これらの全てのシナリオはまさに「底辺への競争」だ。ある参加者が、共通した価値を犠牲にすることでより競争に適するようになると、同様に競争相手達もその価値を捨てなければ淘汰されてしまい、より必死でなりふりかまわない者達にとってかわられてしまう。

結果として、だれもが相対的に以前と同じぐらいの競争力を持つ状態に収束するが、犠牲となった価値はもはやどこにも存在しなくなってしまう。神の視線からば、競争者たちは共通の価値を犠牲にすることが悲劇的な結果になると理解しているが、システムの中からでは、協調が不完全なために悲劇は不可避なのだ。

 

 

次の話題に移る前に、いままでとは少し違うものの、興味深いマルチ・エージェント的な罠を見ていこう。このなかでは、完全な競争はある種の外圧などによってせき止められている - たいていの場合は社会的なスティグマだ。結果として、「底辺への競争」でない状態 - システムはある程度は高度なレベルで機能し続けることができる - が維持されているものの、完璧に合理的な状態を作るのは不可能で、常に膨大な量の資源がくだらない理由によってに投げ捨てられている。話の本筋に入る前に疲れさせるのもあれなので、ここでは4つの例だけを紹介しよう。

 

11.教育

僕の反動主義についてのエッセイの中で、今の教育システムに対する不満を書いた部分がある。

多くの人がどうして教育システムを再構築できないかと質問する。

だけど現在、生徒達の目標は最も就職に有利になる高名な大学に入って企業の人事に採用されることだ - 何かを学ぶか学ばないかには関わらず。

人事の目標は最も有名な大学の生徒達を採用することだ、何故なら問題が起きたとしても上司に言い訳ができるから - 大学が重要な価値を新入社員に与えているいないに関わらず。

そして大学の目標は何をしてでもUS newsやWorld Report rankingsなどの評価を上げ、より名高い大学となることだ - それが生徒を助ける助けないに関わらず。 

これは膨大な資源の無駄使いと悲惨な教育につながるだろうか?エスだ。

もし教育を支配するカミサマ(Education God)がいたらこの事に気がつき、現在の教育システムを大幅に合理化する教育政策を打ち出すことができるだろうか? エスだ!

けれども現実には教育のカミサマなんて存在しないから、結局教育や効率性と少しだけしか関連していない、おのおのの動機に従うことになる

神の目からしたら『生徒達はもし何かを学べると思った時だけ大学へ行くべきだし、企業はどの大学にいったかではなく本人の能力を基準に採用すべきだ』なんて言うのは簡単だ。システムの中からは、皆自分の動機に正しく従っているため、動機が変わらない限りシステムも変わることはない。

 

12.科学 

同じエッセイから、

現代の研究機関は本来生み出せるはずの最良の科学的研究を彼らが実現していないことを分かっている。多くの出版バイアスは未だに存在しているし、統計は怠惰によってしばしば的外れで不適切にしか行われず、再現実験は多くの時間がたったあとに行われるか、そもそも行われないこともある。

 

時々誰かがこんなことを言う。

『みんなが科学を改善できないほど愚かだなんて信じられない! やることと言えば出版バイアスを避ける為に研究の登録の時期を早めて、この新しくて効果的な統計技術を新しいスタンダードにして、再現実験を行う科学者によりよい地位を与えればいいだけじゃないか! とっても簡単な上、科学の進歩をとても進めやすくなるのに! きっと私は他の全ての科学者より頭が良いのだろう、だって他の誰もがこんな簡単ことに気づかないのだから!』

 

そして、うん。きっとが神ならうまくいくだろう。彼の一声で、全ての科学者は新しい統計技術を取り入れてくれるし、再現実験を行う科学者はもっとよい地位につくことができるだろう。

だけど神の眼からならうまくいく物がシステムの中からしたらうまくいく訳ではない。どの科学者も研究のために正確な統計技術をしようするインセンティブをもっていない、なぜなら「驚天動地」な結論を生み出にくくなり、他の科学者を混乱させるだけだからだ。

 

彼らにあるインセンティブは、他の全員が取り入れてほしいという物だけであり、その時点でやっと彼ら自身も導入するだろう。また、どの科学雑誌にも早期登録を取り入れるインセンティブはない。なぜならそれは、衝撃的で目新しい発見を載せる他の雑誌と比べて、地味でつまらない内容が載るということだからだ。

結局システムの中からしたならば、誰もが自分のインセンティブに従っているだけにすぎず、これからもそうしつづけるだろう。

 

13.政府の腐敗

僕は企業助成政策が(少なくとも原理的に)良い物だと考える人間はいないと思う。だけど政府は未だに毎年(計算の仕方にもよるが)約千億ドルを注ぎ込んでいる - 医療の額の約三倍だ。この問題に親しんだ人なら皆同じ単純な解決方法を思いついただろう: 企業へこんなに金を与えるのをやめれば良い。なぜ実現しないのだろうか?

政府というのは常にお互いに、当選や昇進するために争っている。そして当選可能性を高めるための最適化の一部には、企業からの政治献金を受け取るための最適化が含まれている - もしくは本当は含まれていなくても政治家達がそう信じている - としよう。企業への助成をどうにかしようとするまっとうな政治家は企業からの支援を失ってしまい、『余計なこと』をしない物わかりのよい競争相手に追い抜かれるだろう。

というわけで、神の目線からしたら企業助成は無くなったほうがよいと分かっていても、一人一人の政治家にとってはそれを維持するインセンティブしかないわけだ。

 

14.国会

統計によると全てのアメリカ人の内、国会が好ましいものだと答えたのはたった9%である。これはゴキブリ、シラミ、そして渋滞よりも低い数字だ。だけども、自分が応援する国会議員を知っている人の場合、そのうちの62%は、彼らのことを肯定的に捕らえていることが分かっている。理論的に考えれば、9%の承認率しか得られていないような議会が何期にもわたり民主的に選ばれるようなことはとっても難しいはずだ。現実には、全ての議員の間にあるインセンティブは、どれだけ自分の選挙区の有権者に媚びを売るか - そして他のことは全て犠牲にすること - であり、そのことには成功しているように見える。

神の視線からしたならば、全ての国会議員のは国のために行動すべきだ。システムの中からだと、当選することだけを目標に行動することになる。

 

 

 

 Ⅱ

ある根本的な原理が以上の全ての多極的な罠を包括する。

 

Xに関して最適化しようとする競争において、他のある価値を犠牲にすることでよりXを得ることができる機会があるとする。それを犠牲にした者は栄える。そして犠牲にしなかった者は滅ぶ。少しすると、全員の相対的な状態は前と変わらないが、絶対的な状態は以前と比べ悪くなっている。この行程は、Xに置き換えることのできる全ての価値が犠牲になるまで、つまり人類が全てをよりひどい状態にする方法を思いつかなくなるまで推し進められることになる。

十分に苛烈な競争においては(例1~10)価値を投げ捨てなかった者全てが死滅する - 芸術を生み出すのをやめなかった可哀想なネズミたちを思い出せば良い。これが有名なマルサスの罠であり、このなかでは参加者全員が『生存』するだけのための存在にまで削りとらされる。

不十分な競争においては(例11~14)において僕たちは、歪んでしまって失敗した合理化を見て取れる。より信頼できる科学に切り替えられない雑誌や、企業助成をなくすことができない政治家達を思い出してほしい。それは人を生存だけの存在にする訳ではないが、奇妙な意味で人から自由意志を奪っているのだ。

 

全ての二流作家や哲学者は自己流のユートピアを書いている。大部分は聞こえのよい者だ。というか、全く真逆の二つのユートピアが書かれていたとしても、両方とも現実よりもだいぶマシに聞こえるなんてこともざらにあり得ると思う。

名前も知らないどこぞのだれかが、自分達が実際に生きている現実よりも優れたユートピアを思いつくことができるというのは結構恥ずかしいことだと思う。そして実際に書かれたユートピアの内には多くの欠陥品が含まれている。大概のユートピアは多くの問題を見て見ぬふりをしているか、実行に移された瞬間、十分も持たずに崩壊するだろう。

だが、そんな問題が存在しない“ユートピア”をいくつか提唱させてもらおう。

 

- 政府が企業に多くの助成金を与えるのではなく、「少し」しか与えない世界

 

- 全ての国の軍事費が現実と比べ50%少なく、その分は全てインフラに使われる世界

 

- 全ての病院が同じ電子カルテを導入し、一週間目に別の医者がやったであろうテストを5000ドルかけてもう一度する必要がなく、直接検索して調べられる世界(筆者は医者であり、度々ブログで紙のカルテに関し愚痴を述べている)

 

このようなユートピアに「反対」するような人はあまり多くはないだろう。現実でこれらが実現されていないのは、人々がこれらの案を支持しないからではない。ましては人々がこの案を思いつかないわけでもない、なぜなら僕が簡単に思いついた物が今まで考案されなかったはずがないし、この“発見”が画期的だとか、世界を変えられるなんてみじんも僕は期待もしていない。

 

部屋の温度以上のIQを持つ人間だったら誰だってユートピアを思いつくことができる。

今僕らが生きるシステムがユートピアでないのは、それが『人間によってデザインされたものではないからだ』

 

君が乾燥した地形を眺めて、川が将来どんな形になるかを水が重力に従うと仮定すれば分かるように、文明をみて人々がインセンティブに従うということを予測すればどのような機構ができあがるかを予測できる。

 

だけどそれは、川の形が美しさといった人間の価値観のために作られた訳ではなく、むしろ乱雑に生成された地形の結果であるのと同じく、全ての社会的機構は繁栄や正義の為に作られた訳ではなく、ただランダムに決定された初期条件の結果であるということだ。

人々が地形を塗り替え、運河を作ることができるように、人間もより優れた機構のために、動機の形を作り替えることができる。だけど「それ」が行われるのは動機付けられた場合のみであり、いつもではない。結果として、むちゃくちゃな支流や激流なんかがとても奇妙な箇所に現れることになる。

 

僕は今からつまらないゲーム理論的な物から、僕が生きている内に経験した最も神秘的体験に近い物へと話を移そう。

全ての優れた神秘体験と同じように、それはラスベガスで起こった。僕はいくつある高い建物内の一つの頂上に立ち、暗闇の中輝かしく点灯している全ての町並みを見下ろしていた。ベガスにいったことがないひとの為に言っておくが、その景色はものすごく荘厳だ。あらゆる奇妙さと美しさを持った高層ビルとライト達が一つの街に集中している。

その時僕は、とても明快な二つの考えがあった。

 

 

「僕たち人類が、こんな物を生み出せるのは素晴らしいことだ」

 

 

「こんな物を生み出してしまったのは恥ずべきだ」

 

 

だって考えて見ろ! いったいどんな脳みそをしていれば、人の住めない北アメリカの砂漠の中心で、ベニス、パリ、ローマ、エジプト、キャメロットの40階もある室内レプリカを作り上げて、その中をアルビノの虎でいっぱいにするなんていうことが人類に残された限られた資源の、少しでも正気な使い方だと思えるんだ?

 

そして思ったのが、この地球上のいかなる思想であってもラスベガスの存在を肯定する物は存在しないだろうと。僕が資本主義を正当化するときに使うお気に入りの思想、唯物論にしても、その根本には資本主義が人の生活を良くするということに基づいている。ヘンリー・フォードは多くの人々が車を持てるようにしたから道徳的だった。じゃあベガスは? 大量のうすのろに大金をちらつかせ、金を吸い取るだけだ。

ラスベガスは何らかの快楽計算に基づいて文明を良くしようという決断によって建てられた訳ではない。ラスベガスは、ドーパミン作動性報酬回路における気まぐれ、環境における微細構造の不統一な規制、加えてフォーカルポイントが原因で存在している。

 

神の目を持っていて、なおかつ合理的な判断ができる存在なら、これらの情報を加味してこう考えるだろう。

「どうやらドーパミン作動性報酬回路は、。わずかに負のリスク便益比を持つ特定のタスクに対し、わずかに正のリスク便益比を持つタスクとに関連した感情価を得てしまう不具合があるらしい。全ての人がこれを知っておくように教育できるか試してみよう」

システムの中にいる人間は、これらの事実によって作られたインセンティブにしたがってこう考える。

「砂漠の中心に、40階もある古代ローマの室内レプリカを作ってその中を噴水とアルビノのトラでいっぱいにしよう。そうすれば他の人間よりもちょっとだけ金持ちになれるぞ!」

 

まるで、最初の雨が降るはるか前から地形の中に運河の流れが埋まっているように、カエサルの宮殿は存在する前から神経生物学、経済学、そして監督制度に潜んでいたにすぎない。設計した建築家は、半透明な幻影の線に従って本物のコンクリートを埋めていただけだ。

 

という訳で、僕達人間という種が持つ最高傑作の素晴らしいテクノロジーや認知的エネルギーは、貧相な進化を果たした細胞受容体と盲目な経済によって描かれた三文芝居を復唱するだけに無駄遣いされている。

まるで全能の神が、愚者に顎で使われているように。

 

いろんな人は神秘体験において神を見る。

ラスベガスで、僕はモーレックを見た。

 

(モーラック 彼の精神は純粋なからくりだ! モーラック 彼の血液は流れる金だ!

 

モーラック 彼の魂は電力と銀行達だ!  モーラック 彼の摩天楼は長い道の間に立つ終わりなきエホバのようだ!

 

モーラック!モーラックよ!ロボットのアパートメントよ!見えない郊外よ!骸骨の宝庫よ!盲目の都市よ!悪魔的な工業よ!幽霊の民族よ!)

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……花崗岩のペニスよ!

 

 

 

この記事はScott AlexanderによるブログSlate Star Codexの記事『MEDITATIONS ON MOLOCH』の日本語訳です。

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