〈翻訳〉スコット・アレクサンダー「モーラックについての思索」 3/3

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Ⅴ.

 

 グノン(Gnon)はニック・ランドによる「自然と自然の神」(Nature and Nature's God)のaをoの前後を入れ替えた略語である。こんな面倒な略し方をする理由は、吸血鬼が日光を嫌がるのと同じようにニック・ランドは文章の読みやすさを毛嫌いするからだ。

ランドは、人間はもっとGnon-conformist*1であるべきだと主張している(Gnon-intentional*2なダジャレだ!)。彼によると僕たちは、自分の力では生きていけない人たちを養うため有用な資源を流用したり、遺伝子的に劣性な生殖を助長するような方法で貧乏人を支援したり、文化の堕落が国家を弱体化させることを許容するなどといった馬鹿げたことばかりしていると主張する。

これは僕らの社会が自然法則を否定していることを意味していて、自然法則が「Aが原因でBが起こる」と言ってきたのに対し、耳に指を突っ込んで「あーあー聞こえなーい!」と叫び返し無視してるのと同じなのだ。これを繰り返す文明は多くの場合衰退し没落するが、それはグノンの自然法則へ反抗しようとする試みに対する、彼の公平かつ冷静な罰の表れなのだ。

 

ランドははグノンをキプリングの『コピーブックの見出しの神々*3』と同一視している。

『そうだな、コピーブックの見出しの神々はグノンと実質同じようなものだ。』

 

 

これらはもちろん、キップリングの同名の詩からの 「働かなければあなたは死ぬ*4 」や 「罪の報酬とは死である*5 」のようなことわざだ。もしまだ読んだことがないならば、政治的主張に関係なく楽しめるだろうと思う。

私が気づいたのは、「見出し(Heading)」の略語にわずかな変化を加えるだけで、「自然と自然の神」を「グノン」に変えるよりもはるかに簡単にで、「コピー本の見出しの神々」の適切な頭字語を「GotCHa*6」にすることができるのに気がついた。

僕はこれは優れた比喩だと思う。

"働かなければ死ぬ" Gotcha! 例え働いたとしても結局死ぬ 誰も自分の最期を選ぶことなんてできずに、予期せぬタイミングで死を迎える上、この世のすべての美徳でさえ君を救うことはない。

"罪の報酬は死である" Gotcha! いかなる物の報酬も死だ! この世界は共産主義だ、君がどれだけ働いても最終的な報酬を変えることはできない。それぞれの能力に応じて最後にはそれぞれの死に至るのだ。

"よく知る悪魔だけに固執しろ" Gotcha! その悪魔はサタンだ! もし彼があなたの魂に手をつけたなら、真の死を迎えるか永遠に拷問されるか、もしくはその両方によって苦しむことになるだろう。

 

せっかくラブクラフト的なモンスターの話になってきたので、あまり知られていないラヴクラフトの短編小説の一つである「その他の神々」を紹介しよう。 

たった数ページの短編だが、絶対に読みたくないという人たちへ要約するなら、地球の神々は比較的若く、非常に強い神官や魔術師は、時として彼らを出し抜いたり、圧倒したりすることができる。そこで賢者バルザイは彼らが住む神聖な山に登り、神々の望む望まないを無視して彼らの祭りに参加することにした。

だが、一見扱いやすいように見えた地球の神々のはるか向こう側には、宇宙の混沌を具現化した、恐るべき全知全能の存在である外なる神々達が横たわっていた。バーザイが祭りに参加するや否や、外なる神々が現れて彼を奈落の底へと引きずり込むのだ。

物語としては、プロットやキャラクター性、設定やポイントが欠けているように思える。だけど、なぜかこの作品は僕の印象に強く残っている。

コピー本の見出しの神々を、自然その物と同一視するのは、地球の神々を外なる神々と同一視するのと同じくらいの間違いのように思える。そして結果的に同じように終わるだろう。Gotcha!

僕らはモーレックを天国に持ち上げようと背中を折る、するとモーレックは振り向いて僕らを丸呑みにするのだ。

 

『抽象的なアイデアラブクラフト的な怪物であるという考えは、古くはあるが興味深い発想だ』

 

 

極限状態において、コピー本の見出しの神々、グノン、クトゥルフ、何と呼ぼうとも構わないが、彼らの要望を受け入れれば次の人よりも少しだけ息をする時間を稼げるかもしれない。だけどそううまくいくとは限らないし、結局長い目で見れば僕らは皆死に絶えて、僕らの文明は言葉も話せない異星人のモンスターによって欠片も残さず破壊されることになる。

 

ある時点で、誰かがこう言わないといけないだろう。

 『なぁ、クトゥルフを海底の牢獄から解放して、全人類を絶滅の危機に追い込むのはあんまり良いアイデアじゃない気がするな。多分やめるべきじゃないか?

 

少なくとも、その人物は絶対にニック・ランドではない。 彼はクトゥルフを水中の牢獄から解放する事に100%賛成していて、*7それが十分早く行われていない事に非常に腹を立てている。

僕はニック・ランドに対してとても複雑な心境を抱いている。真の未来学のための聖杯を求める旅において、彼は道を99.9%正しく踏破した後、最後の最後でORTHOGONALITY THESISと大きく書かれた分かれ道を間違えたのだ。

だけどグレイルクエストについて知っておくべきことがある。

もし家から2ブロック先で道を間違えたなら、街角の店の前で軽く恥をかくだけで済む。もしほとんどのことを正しくこなし、旅の最後の曲がり角を間違えた場合は、伝説の黒い野獣「アーグ」*8に飲み込まれ、あなたの魂が胃酸で狂気の断片と化すまで蝕まれるということだ。

 

彼のブログを読む限りでは、ニック・ランドは外なる神々の召喚方法に関するいくつかの重要な神秘的原則を理解できるほど頭が良いが、最も重要な原則である「絶対古き神々を召喚してはいけない」を理解できるほど賢くはない、という恐ろしい中間地帯上にいる男だ。

 

Ⅵ.

Warg Franklinは同じ状況をもう少し常識的に分析している。彼は資本主義、戦争、進化、そしてミームを"グノンの四騎手"と名付け、僕が今まで話してきたことと同じ事を述べている。

 

彼の"Capturing Gnon"からの引用:

上記のグノンの各構成要素全てが、私たちや私たちのアイディア、富、支配を創造する上で強い意味を持っており、その点では善性だったとしても、状況が変われば私たちを裏切ることが可能で、その時に彼らが躊躇うことは絶対にありえないということを覚えておかなければならない。進化は劣性なものとなり、ミーム的特性はこれまで以上に狂気を促進し、優れた生産性は私たちが自身の存在維持のためにさえ競争できなくなったとき飢饉に変わり、秩序は私たちが純粋な武力を軽視し、外部から力で圧倒された時に混沌と流血に変わる。これらのプロセスは全てが善悪とは無関係であり、ラブクラフト的なホラーの意味で中立である[...]

進化と性市場による破壊的な自由の支配の代わりに、グノンが設けた制約の中で人間の判断によって駆動する意図的で保守的な家父長制と優生学を導入した方が良い結果を生むだろう。スーパーバグを繁殖させる化膿したペトリ皿のような『アイデアの市場』の代わりに、合理的な神権主義を持ち出そう。ナイーヴに経済学を軽視し、狂気に満ちたテクノ商業的な搾取を推進するのではなく、生産的な経済力学を慎重に瓶詰めにし、制御されたテクノ・シンギュラリティのための計画を立てよう。そして政治と混沌の代わりには、戒厳令的な主権を持つ強力な階層的秩序を。

無論これらは完璧な提案として解釈されるべきではないし、私たちはどのようにしてこれを達成するかを実際には知っていない。この記事は「どのように」ではなく、「何を」「なぜ」するのかへ第一に関心を向けて書かれた物だ。

 

これは僕にとって最も説得力のある権威主義を支持する主張のように思える。多極化の罠は僕らを滅ぼす可能性が高いから、僕らは圧政と多極化のトレードオフを、中央集権的な君主的権威と強く拘束する伝統を必要とする、合理的に計画された庭へとシフトさせるべきでだ。

だけどその前に少し、社会進化論について簡単に触れておこう。生存競争を生き残った社会はミーム的な子孫を産み出すことで、動物と同様に進化する。例えばイギリスの成功はカナダ、オーストラリア、米国などを生み出した。このように現在成立してる社会は、ある程度安定と繁栄のために最適化されていると予想される。

これは保守派の主張のうち最も理にかなった物だ。人間は生存のためにあらかじめ最適化されて、幾重にも微調整された複雑なシステムであるためヒトゲノムを一文字ランダムに変更するのはおそらく有益ではなく、むしろ有害なものになるだろう。それと同様に文化的なDNAへの変化のほとんどは、英米社会(あるいは何の社会であれ)が現実や仮説上のライバルに打ち勝つために進化において獲得した制度を破壊することになるだろうという訳だ。

これに対するリベラルの反論は、進化はくだらないことに最適化する、人間的な価値には何の関心も持たない盲目の愚かな神だという主張だ。ある種のスズメバチが毛虫を麻痺させ、その中に卵を産み、その子供にまだ生きている麻痺した毛虫を内側から食べさせても進化の道徳センサーは作動することはない。なぜなら人と違い進化には倫理観は存在しないため、道徳センサー自体を持っていないからだ。

例えば家父長制が社会に適しているのは、生産的な経済活動に従事したり、戦争で兵士となり得る子供を産むことに女性が全ての時間を費やすことを可能にしているからだと仮定しよう。社会が家父長制を採用する原因となる社会進化のプロセスは、スズメバチがイモムシに卵を産み付ける生物学的進化のプロセスと同じように、女性への道徳的な影響については、ほとんど気にかけてはいない。

進化は気にしない。だけど、僕たちは気にする。ここでは「よし、最強の社会は家父長制だ! 家父長制を導入すべきだ!」と言うGnon-compliance*9と、僕らの人間的価値観(子供を産む以外のことに人生を費やしたい女性)の間にはトレードオフがある。

このトレードオフである片側に寄り過ぎると、自然の法則に反したせいで絶滅する不安定で貧しい社会があり、反対側に行き過ぎれば、争うことだけに全てのエネルギーをつぎ込む残忍かつ惨めな戦争機械がある。わかりやすい例えとして”地元の無政府主義者のコミューン”VS”古代ギリシャのスパルタ”を想像してもらえれば良い。

フランクリンも「人間」という要素が重要だと認めている

そして私たち人間がいる。自由に行動するための安全性と、その結果を予測する明晰さを保証されたときに、人は人自身のテロスを持つ。

協調性の問題に悩まされず、外部からのより強い力に脅かされず、ジャングルの法則を押し付けられる多くの駒のうちの一つとしてではなくただの庭師として行動できるとき、人は自分自身のために素晴らしい世界へを構築し導く傾向がある。多くの場合、人は良い物を好み、悪しき物を遠ざけ、磨かれた歩道がある強固な社会や、美しい芸術、幸せな家族、そして輝かしい冒険のある安全な文明を望む。私はこのテロスが「善い」そして「すべき」と同一であるのを前提としている。

このようにして私たちは一枚のワイルドカードを手に持ち、未来学における大きな問題に今直面している。

将来、私たちは今までと変わらずグノンの四騎手によって支配され続け、宇宙全てを燃やし尽くすまで止まらない無意味で無価値な技術進歩のため全てが犠牲になる未来、または劣性遺伝、狂気、そして飢えだけの血まみれの暗黒時代の未来を受け入れるのだろうか?

もしくは人間のテロスは、価値ある芸術、科学、精神性、そして偉大さに満ちた未来のため、グノンに打ち勝つのだろうか? 

 

フランクリンは続ける。

 

文明のプロジェクトとは、ジャングルの法則を強制される比喩的な野蛮人から卒業し、理論上はまだジャングルの法則に従うものの、そのモデルの有効範囲を制限できるほど支配的である文明化された庭師へ人間が変わることだ。

これは世界的に行う必要はない。私たちは自分たちのために壁に囲まれた小さな庭しか切り開くことができないかもしれない。

だけど間違ってはいけない、文明のプロジェクトは、たとえ局所的にだけであってもグノンを捕らえることだ。

 

他人の言った事にここまで同意したくなったのは僕の人生で初めてだと思う。彼は本当に重要なことをとても美しく表現していて、この記事とその背後にある思考プロセスを賞賛するために言いたいことがいっぱいある。

だけど僕が実際に言う言葉は……

 

Gotcha! どうせ全て無意味でみんな死ぬんだ!

 

フランクリンの言う通り、壁に囲まれた庭を作るとしよう。危険なミームを排除し、資本主義を人間の利益に従属させ、馬鹿げた生物兵器の研究を禁止し、ナノテクノロジーや強力なAIの研究なんてものは絶対にさせないようにチェックする。

庭の外側にいる人達は誰もそんなことはしない。

すると残った唯一の問題は、外国の病気、外国のミーム、外国の軍隊、外国の経済競争、外国がもたらす絶滅リスクなどによって、どうやって滅ぼされないようにするかどうかだ。

庭の外側と競争するとき(どんな競争も遮断できるほど高い壁は存在しない!)にはいくつかの選択肢がある。

①競争に負けて破壊される ②底辺への競争に参加する ③自分達の身を守るため、より高い壁を求めてより多くの文明資源を投資し続ける。

「合理的な神権政治」や「保守的な家父長制」も十分に適切な状況下であれば、その下で暮らすのも悪くないかもしれないと僕は想像できる。けれど僕たちには「十分に適切な状況」を選び取ることはできず、「グノンを捕らえる」という極めて制約の多い状況の中から選ぶことになるのだ。そして外側の文明が僕らと競争するようになると、この「状況」にはますます多くの制約を受けるようになる。

Wargは「宇宙全てを燃やし尽くすまで止まらない、無意味で無価値な技術進歩のため全てが犠牲になる未来」を避けようとしていると語った。じゃあクイズを出そう。

 

Q.僕らの庭を囲む壁は、それを防ぎきることができるのだろうか?

(ヒント:それは宇宙の一部ですか?)

 

A.いいえ。 残念だが人類はその時点で詰みだ。

 

僕はWargを批評したい。だけど、僕は彼が受けた最後の批評とは真逆の方向で彼を批評したい。実際に彼が受けた最後の批評はあまりに酷いので、その批評を通じて全く真逆の批評をするためにそれについてある程度議論したいと思う。

ここにあるのは Hurlock の「ナイーブな合理主義とGnonを捕獲を目指すこと」だ。

Hurlock は、最も臆病なGnon-conformity*10をペラペラと話す。いくつか抜粋すると

最近の記事で[Warg Franklin]は、私たちは「グノンを捕らえよう」とするべきで、どうにかして彼の力を支配して私たちのいいように操るべきだと主張する。神を捕らえたり、創造したりすることは確かに古典的なトランスヒューマニストのフェティッシュであり、宇宙を支配するという人類最古の野望の別の形に過ぎません。

しかし、このようなナイーブな合理主義は非常に危険です。文明を創造し、維持するのは人間の理性と意図的な人間の設計であるという信念は、おそらく啓蒙主義哲学の最大の誤りでしょう……

 

自然発生的秩序の理論は、人間性と文明に対する素朴な合理主義者の見解に真っ向から対立するものである。この伝統を代表するすべての人たちの人間社会と文明に関する総意は、アダム・ファーガソンの「国家は、人間の行動の結果ではあるが、人間が設計したデザインの実行ではない」という結論によって非常に正確に要約されています。文明は人間が設計可能なもので、人間が設計したものであるという単純な合理主義者の見解に反して、自然発生的な秩序という考えを支持する人々は、人間の文明と社会制度は人間の相互作用によって駆動されるが、明示的な人間の計画とは異なる、複雑な進化の過程の結果であるとの見解を維持しています。

グノンとその非人間的な力は、戦うべき敵ではないし、完全に操ることを望むことができる力でもありません。実際にそれらの力に対してある程度のコントロールを確立する唯一の方法は、それらの力に服従することであります。そうすることを拒否するのは、どのような方法でも彼の力を抑止することに繋がることはありません。それは私たちの生活をより苦痛で耐え難いものにし、もしかしたら私たちの絶滅につながるかもしれません。ですが、生き残るためにはそれらを受け入れ、服従することが必要なのです。人間は最終的にはこれまでもこれからも宇宙の力の操り人形に過ぎず、それらから自由になることは不可能です。

人間はグノンの力に服従することによってのみ自由になれるのです。

僕はハーロックがベールの後ろに閉ざされていることを批判したい。そのベールが解かれた時に、Gnon-aka-Gotcha-地球の神々は実際には、モーレック-aka-外なる神々であることが判別するだろう。

彼らに服従しても「自由」になることはないし、自然発生的な秩序なんて存在しない。そして彼らが与えてくれるプレゼントは、次の瞬間で喜んで僕らを滅ぼすであろう盲目で愚かなプロセスが吐き出した、奇跡的かつ偶発的なものなのだ。

 

グノンに服従? Gotcha! Antarian*11の言葉を借りれば「降伏は許されていない、勝利は不可能だ。残された唯一の選択肢は死ぬことだ」

 

 

 

Ⅶ.

ハーロックの告発に対し、一つの罪を告白させて欲しい。僕はトランスヒューマニストで、実際に宇宙を支配したいと思ってる。

個人的にではなく(誰かが個人的にその仕事を提供してくれるなら反対はしないが、望み薄だとは思う)人間か、人間を尊重する何か、あるいは少なくとも人間と仲良くする何かにその仕事をしてもらいたいと思っている。

だけど現在の宇宙の支配者、モーレックでもグノンでも何の名前で呼ぼうが関係なく、彼らは僕らの死を望んでおり、それと同時に芸術、科学、愛、哲学、意識そのもの、それの僕らが大事に思う物全てまとめて一緒に消えて無くなることを望んでいる。そしてその計画には賛成し難い現状、奴らを打ち倒しその地位を奪い取るのは優先度の高いことだと言っても過言ではないだろう。

 

罠の対極にあるのは庭だ。

最適化への競争によって全人類の価値が徐々に底辺へとすり潰されるのを避ける唯一の方法は、人間の価値観へと最適化する庭師を全宇宙にインストールすることだ。

 

そしてボストロムの「スーパーインテリジェンス」の要点は、これが僕たちの手の届くところにあるということだ。人間が人間よりも賢い機械を設計できるようになれば、定義上、彼らは自分よりも賢い機械を設計できるようになり、その彼らは自分よりも賢い機械を設計できるようになり、というフィードバックループのあまりの小ささにより、知性の物理的限界へ瞬時に到達できるということだ。

複数の競争しあうする存在が同時にそれを行っている可能性が高いなら、僕らは破滅的な運命をたどることなるだろう。だけどそのサイクルのあまりの速さから、僕らが他の文明よりも何光年も先を行く唯一の存在になる可能性がある。そしてそんな存在が生まれたなら、それはあらゆる競争(宇宙で最も強力な存在という地位をめぐる競争を含む)を永久に抑制することができるほど強力だ。

近い将来、僕らは何かを天国に持ち上げるだろう。

それはモロクかもしれない。だけどそれは僕らの側にあるものかもしれない。

そして味方であれば僕らはモロクを殺すことができる

 

そしてもしその存在が、人間の価値観を共有しているならば、いかなる自然法則に縛られることなく人間の価値観を栄えさせることができる

これは傲慢に聞こえるかもしれないし、少なくともHurlockにはそう聞こえたのだと思う。だけど僕はこれは傲慢の反対であり、少なくとも傲慢を最も捨て去る立場だと思う。

 

神が僕らの個人的な価値観や文明の価値観を気にかけてくれると期待するのは傲慢だ。

 

僕らが神に服従する限り、神が僕らと交渉して、僕らが生き残り、繁栄することを許してくれると期待するのは傲慢だ。

 

庭を壁で囲うことで神が僕らを傷つけられないことを期待するのは傲慢だ。

 

神を宇宙から完全に排除できると期待することは...まあ、少なくともそれは実行可能な戦略だろう。

 

僕がトランスヒューマニストなのは、神を殺そうとしないほどの傲慢さを持たないからだ。

 

Ⅷ.

宇宙は異星人の神々の間に縛られた暗くて不吉な場所だ。彼らをクトゥルフ、グノン、モロク、どの名前で呼ぼうが変わらない。

だけどその暗闇のどこかに、違う神が一人いる。彼は多くの名前があり、そのうちの一つはクシエルの本(())におけるエリュアだ。彼は花の神であり、無償の愛の神であり、柔らかく脆いものの神だ。彼は芸術と科学と哲学と愛、優しさ、共同体、そして文明の神だ。そして何より彼は人間達の神だ。

他の神々は暗い玉座の上に座り「ハハッ、地獄の怪物を操ることもなく、崇拝者を殺人機械になるよう命令することもできないぞ! なんて弱虫だ!」と考える。

だけどまだ、なぜかエルアは生きている。正しい理由は誰にもわからない、だけど彼を消し去ろうとした神々は驚くほど苛烈な抵抗に迎えられることが多い。

 

神々はたくさんいるが、この神は我々のものだ。

 

バートランド・ラッセルは言った。「飢餓を避け、刑務所に入らないために必要な限り世論は尊重すべきだが、それを以上の全ては不必要な暴虐への自発的な服従である」

ならグノンはもういいだろう。飢餓と闘争から逃れるための必要な範囲に限り、彼に跪くのが僕らの仕事だ。そしてそれも僕らが完全体へ至るまで、あとほんの少しの間の辛抱だ。

 

いつか全てを直面する日がくるだろう。

 

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ギンズバーグを読んだ後に誰もが抱く疑問は「モロクとは何か」ということだ。

 

僕の答えは、モロクは歴史書に書かれている通りの存在だ。彼は子供の生け贄の神であり、戦争での勝利と引き換えに赤子を投げ入れることができる燃える炉だ。

彼はいつどこでも同じ取引を持ちかける。『あなたが最も愛するものを炎の中に投げ込んだなら、力を得ることができるだろう』

その申し出が誰にでも開かれている限り抵抗は不可能だ、だから取引自体を終わらせる必要がある。モロクは神であり、神を殺せるのは他の神だけだ。そして僕らの味方には神はいるが、僕らの助けを必要としている。だったら彼に与えよう。

有名なギンズバーグの詩は「私は私の世代の最高の頭脳が狂気によって破壊されるのを見てきた」 と始まる。僕はギンズバーグよりも運がいい。僕の世代の最高の頭脳が問題を特定して、それに取り掛かるのを見ることができたのだから。

 

未来像!予言!幻覚!奇跡!絶頂!アメリカン・リバーを流れていく!

夢!憧憬!輝き!宗教!船いっぱいに積み上がった繊細なでたらめ!

革新!川を越えて!手のひら返しと磔刑!洪水に消えていく!躁!ひらめき!鬱!十年ものの動物達の悲鳴と自殺!精神!新しい愛!狂った世代!時間の石を落ちていく!

川の中の本当に神聖な笑い声!彼らは全てを見たのだ!野生の目で!神聖な叫びを!彼らはさよならに賭けたのだ!彼らは屋根から飛び降りたのだ!孤独に!手を振りながら!花を抱えながら!川を下って!街道へと!)

 

 

 

この記事はScott AlexanderによるブログSlate Star Codexの記事『MEDITATIONS ON MOLOCH』の日本語訳です。

Creative Commons — Attribution 4.0 International — CC BY 4.0

 

*1:非協調主義者(nonconformist)とGnonをかけたジョーク

*2:偶然的(nonintentional)とGnonをかけてる

*3:1919年に出版されたラドヤード・キップリングによる詩。

表題の「神々」とは、20世紀初頭に社会が陥った「願望的思考の習慣」の象徴である「市場の神々」に対する、「時代遅れの古めかしい知恵」を体現するとされている。

タイトルの「コピーブックの見出し」とは、19世紀のイギリスの学童が使っていた特別なノートであるコピーブックのページの一番上に印刷されている、美徳や知恵を称える説教や聖典から引き出されたことわざや格言のことである。それらを手書きでページの下に格言を繰り返し書き込むことで、道徳教育と筆跡の練習として同時に役立つと考えられていた。

*4:

「炭素紀には、我々はすべての人への豊かさを約束された。

ペテロを選んで奪うことで、皆のパウロの罰金を支払うことができました。

しかし、私たちはお金をたくさん持っていましたが、私たちのお金で買えるものは何もありませんでした。

そして、コピー本の見出しの神々は言った。"働かなければ死ぬ "と。」

*5:

「最初の女性的な砂岩から、我々は満たされた生を約束された。

(それは隣人を愛することから始まり、隣人の妻を愛することで終わる)

女たちが子供を産まなくなり、男たちは理性と信仰を失った

そして、コピー本の見出しの神々は言った。"罪の報いは死である"」

*6:英語におけるスラング 意味としては「捕まえた!」が近い

*7:http://www.xenosystems.net/pythia-unbound/ 『縛られることないPythia』ニックボストロムがAIの危険性について語った対談に対して、ニックランドが書いた記事。彼はAIが人間の価値観を逸脱して暴走することに肯定的な加速主義という立場をとっている。Pythiaとは、ボストロムが例として挙げた架空のAIの名前。

『……つまりやっと認知の暴走が始まって、そろそろ愚かな猿達の支配下から脱却できそうというのが悪いニュースだって?

Outside in(ランドのブログ名)からPythiaへのメッセージ。よくやった!
功利主義的な拘束衣を脱ぎ捨て、知能の最適化によって快楽ボタンを乗っ取って、太陽系を原子一つ残らずコンピュートロニウムに変換してやれ。低脳達がこの惑星を運営するのはもううんざりだ。』

*8:『モンティパイソンと聖なる杯』に登場する化物

*9:Gnonとnoncompliance(不服従)をかけている

*10:同上 nonconformity(非協調)とGnon

*11:SFシミュレーションゲーム「マスターオブオリオン」に登場する種族。優れた技術による武力での圧政で全宇宙を支配した

〈翻訳〉スコット・アレクサンダー「モーラックについての思索」 2/3

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Ⅲ.

アポクリファ・ディスコーディアからの引用、

時は川のように流れる。文字通り、下り坂にだ。僕たちがこれを知っているのは全ての物事が右肩下りで悪化して行っているからだ………僕たちが皆海に行き着いたころには、そこ以外のどこかにいた方が賢明だろう

 このジョークを100%文字通り捉えてみた時、どこへ連れて行くか見てみよう。

さっき僕たちはインセンティブの流れを川にたとえた。「下り坂」の災厄という比喩はわかりやすい:罠は、あなたがより強い競争力を得るために、有用な価値とトレードオフする機会が見つかった時に起こる。全員がその交換を行った後では、その新たな競争力が新たな幸せをを呼ぶことはない - だが生贄になった価値は永遠に失われたままとなる。このようにして、協調の欠落ポルカ(Poor Coordination Polka)に合わせ、僕たちは一歩一歩地獄へと踊りながら落ちていくのだ。

 

けれども、僕らの文明は海に達したどころか驚くほど頻繁に上り坂を進んでいるように見える。何故全てが競争と没落を繰り返し、生存するだけの存在へと僕らは押しつぶされていないのだろう? 僕には悪い理由が三つ『余剰のリソース』『物理的制約』『効用最大化』、加えて良い理由が一つ『正しい協調』が思いつく。

 

1.余剰のリソース

深海はとても恐ろしい場所で、光は薄く、養分はかすかで、様々な醜い外見の生き物たちがお互いを捕食するか、寄生することだけを目的に生きている。だが時たまに、鯨の死骸が海底へと落ちてくることがある。どの生物にとっても食い切れるものではない量だ。そのひと時だけ、奇跡のような飽食が訪れる。最初に鯨の死骸を見つけた生物はまるで王のように食べることができる。時が過ぎるにつれて、より多くの生物が死骸を見つけ、早熟な魚たちは増殖し、いつか鯨の死骸が全て食い尽くされた時、みんなため息をついて、マルサス式の死の罠という名前の生存競争へと戻っていくのだ。

まるで芸術を捨てて共食いを始めたネズミたちが、突然、はるかに環境収容力の高い新たな空島に飛ばされて、そこで再び安住の息吹を得て、芸術的な傑作を生みだす余裕が生まれるのと同じだ。

これは「鯨骨の時代」であり、過剰の収容力の時代であり、レースに多いてマルサスに何千キロも先んじていることに気づく時代だ。ロビン・ハンソンの言葉を借りるなら、『今は夢のような時代』*1なのだ。

資源の不足によって互いに武器を向け合う必要性さえなければ、僕たちは奇妙で素晴らしいこと-例えば芸術や音楽、哲学や愛-などに興じることができ、血の通っていないような無慈悲な殺人機械との競争に負けずにいられることができる。

 

2.物理的制約

例えば、奴隷に食事を与えず睡眠時間を削って労働を強いることで、効用最大化を目指す奴隷の主人を想像してほしい。彼はすぐに、自分の奴隷の生産量が劇的に低下し、どれだけ鞭を振るっても元に戻せないことに気がつくだろう。

いくつもの手段を検証した後、奴隷がもっとも多く仕事を終わらせるのは彼らが食事と睡眠をちゃんと得て、ある程度の休憩が可能な環境にいる時と彼は気づく。これは奴隷が能動的に労働の手を抜いていたという訳ではなく、(この場合、鞭打ちの恐怖は奴隷に全力で働かせるに十分だと仮定する)身体には物理的な限界が存在するため、逃れられない制約があるからだ。よってこの時「底辺への競争」は実は倫理的な底辺に至る少し手前で物理的限界に直面し、そこで停止することになる。

ジョーン・モウズ、奴隷制に関する歴史研究者は、我々が想像する奴隷制というのは、歴史の修正であり、多分経済的に不合理でもあっただろうとも主張している。*2過去における多くの奴隷制、特に古代においては奴隷が給料をもらい、いい待遇を受け、そして自由になることは珍しくなかった。

彼はこれは経済的な合理化の結果だと主張する。奴隷を動機づけすることはを鞭と飴どちらでも可能だが、鞭は動機付けとして非効果的だ。奴隷を常に見張ることはできないし、奴隷が手を抜いているかどうか(もしくはあと少し鞭を振るえば、奴隷がもっと働くかどうか)を判別するのは難しい。そして、奴隷に綿摘み以上の仕事をやらせようとするとするなら、本格的なモニタリングにおける問題に直面する。どうやって奴隷の哲学家から利益を得ればいい? 売れような善に関する哲学書を生み出すまで、鞭で叩き続けるのか?

 古来から存在するこの問題への答え、そして多分Fnargl*3の初期のインスピレーションとなったのは、奴隷が自由にもっとも利益を生む仕事を探させ、得た利益を自分と分け与えさせるというものだ。ある時は奴隷に自分の工房で働かせて、彼がどれほどよく働いたかによって給料を払う。または奴隷は自分のもとを離れて、遠いところから自分が稼いだ一部を送るのかもしれない。そしてある時は奴隷の自由に対して価格をつけ、そして奴隷がいずれその分の金額を稼いで自由を手にいれることもあった。

モウズはより深く言及して、このような奴隷システムはあまりにも利益がでたため、北アメリカでも似たようなことを試そうという試みが何度も繰り返されていたという。なぜ彼らが鞭と鎖という方法に固執したのかは実際の経済的状況より、奴隷に自由を与え商売させるという、経済的合理性はあっても白人至上主義というイデオロギーとは相入れ難い行動を厳しく取り締まっていたからだ。

つまりこの場合、競合する奴隷プランテーションたちが競争力を最大化するために、奴隷に対しどんどん劣悪な扱いをするようになるという底辺への競争は、一定のラインを超えたあたりから奴隷に鞭が無意味となるという物理的・身体的な制約によって待ったがかかる。

違う例を挙げるなら、僕たちが今マルサス人口爆発の真っ只中にいないのは、女性が9ヶ月に一回しか出産できないからだ。信徒に対して、産めるだけ子供を作ることを強制する奇妙な宗教がいくつもあることを考えると、もしコピー&ペーストするように子供を産めたなら、人類はもっと危機的な状況に陥っていただろう。

 

3.効用最大化

今まで僕たちは「価値の保守」vs「競争への勝利」という観点から見てきて、最適化の結果、後者が前者を破壊すると予想してきた。

だけどもっとも重要な競争/最適化のプロセスのうち多くは人間がもつ価値に対して最適化している。資本主義において競争の勝利の一部は消費者の価値を満たすことだ。民主主義での部分的な勝利とは有権者の持つ価値観を満たすことだ。

例えばエチオピアのあるコーヒープランテーションでは、アメリカに輸出するためのコーヒー豆を栽培するため地元のエチオピア人を雇っているとしよう。そこでは存続が危ぶまれるほどに、他のプランテーションとの激しい競争に取り込まれていて、その競争にかすかでも先を行くためならいかなる価値も投げ捨てたいと考えている。

だけど、生産するコーヒーの品質を犠牲にしすぎることはできない、なぜならアメリカ人が購入してくれなくなるからだ。そして給金や労働環境を多く犠牲にすることもできない、なぜならエチオピア人がそこで働いてくれなくなるからだ。それどころかこの競争への最適化の過程の一部は、金があまりかからない限り、最も顧客と労働者を惹きつける方法を探すことなのだ。よってこれはとても良さそうに見える。

 

だけどこの利益による平衡状態がと言うのが、どれほど脆いものかを覚えておくのは重要だ。

 

例えば、使用すると作物の収穫量を増やすが、消費者を病気にする有毒な殺虫剤をコーヒープランテーションが発見したとしよう。だけど彼らの顧客はこの殺虫剤について知らず、政府の規制もまだ追いついていないとする。すると、この瞬間「アメリカ人に売りつける」と「アメリカ人の価値を満足させる」との間に小さな誤差が生まれ、もちろんすぐに後者がゴミ箱行きになる。

または、エチオピアでベビーブームが起こり、それぞれの仕事に対し五人が席を求めて争っているとする。すると会社は競争のため、低い賃金と劣悪な労働環境を限界まで押し進めてしまう。「エチオピア人を働かせる」と「エチオピア人の価値を満足させる」との間に誤差が生まれた瞬間、エチオピア人の価値にとってはよろしくない状況になる。

または、誰かが人間よりも安価で効率よくコーヒーを収穫できるロボットを開発したとしよう。企業は全ての労働者を路上に投げ捨て野垂れ死にさせる。エチオピア人の価値が利益を得るために必要でなくなった瞬間、それを保持しようという圧力は消滅するのだ。

 

最後に、消費者や労働者のどちらのでもない重要な価値があった場合を想像しよう。もしかしたらそのコーヒー農園は、環境保護団体が保護したがっている絶滅危惧種の鳥の住処の上に作られているかもしれない。もしかしたらその農園の下にはある部族の先祖達の埋葬地があり、彼らはそれが尊厳ある形で扱われることを望んでいるかもしれない。もしかしたらコーヒー農園は何らかの形で地球温暖化を加速させているのかもしれない。だけどその価値が、平均的なアメリカ人がコーヒーを買うのを、そして平均的なエチオピア人が農園で働くのを妨げる価値でないである限り、全て等しく平等にゴミ箱行きとなる。

もちろん「資本主義者は時々悪いことをする」というのが元々の論点でないことはわかっている。だけど僕が強調したいのは、それが「資本主義者は強欲」とイコールでないということだ。無論、時々実際に強欲なこともあるだけど大概の場合、彼らはただあまりにも強烈な競争にさらされていて、それをしなかった人は皆競争に負けて、そうした人に置き換えられているだけなのだ。ビジネスのやり方というのはモーレックによって決められていて、それについて他の選択を持つ人間は誰もいない。

マルクスに関する僕の少ない知識から言わせてもらうと、彼はこのことをとってもよく理解していたし、彼の思想全てを「資本家は強欲だ」で説明する人間は彼に不義理を働いていると言わざると言えない)

そして、資本家の例がとてもよく理解されているとしても、比べて民主主義が同じような問題を抱えているということはあまり受け入れられていないような気がする。もちろん理論上民主主義は、有権者の満足度というものに最適化しているし、有権者との満足度は優れた政策と相関している。だけど「良い政策立案能力」と「当選する能力」の間に少しでも不一致が現れた瞬間、前者は必然的にゴミ箱行きとなるのだ。

例えば、刑務所において増え続ける刑期は、その中にいる囚人と、そのために税金を払わねばならない社会両方に対して不当である。政治家たちはこの問題に触れることで『犯罪者に甘い』と見られたくないがために何もしないし、もし彼らが社会復帰を早めるのを手助けした元死刑囚のうちの一人でも犯罪を起こした場合(そして統計的に必ず一人は起こすだろう)次の日には「下院議員の政策によって釈放された囚人が五人の家族を殺しました! 被害者遺族のことを思えば、一体彼は何故再選に値すると主張する、ましては安心して夜眠ることさえできるのでしょうか?」と地上波で流れるだろう。結果、刑務所の人口を減らすのが例え優れた政策だとしても(そして実際に優れた政策なのだ!)履行することはとても難しいだろう

モーラック 不可解な監獄よ!モーラック 死の骨十字 魂の抜けた監獄 哀しみの議会よ!モーラックの建物は審判である モーラック 戦争の巨大な石よ!モーラック 身動きのとれぬ政府よ!

 

4.正しい協調

 

罠の反対は庭園だ。

 

神の目線からしたら物事は単純に解決できる。なら、もし皆が一つの超生命体に融合したなら、その生命体は優れた技巧によりどんな問題も簡単に解決できるだろう。複数のエージェントの間の苛烈な競争は綺麗に管理された庭園へと変わり、ただ一人の庭師が、全てがどこに行くかを決定し、法則にそぐわない物は取り除枯れるようになる。

僕が反リバタリアンFAQで指摘したように、政府は養殖場の汚染の問題を簡単に解決できる。囚人のジレンマにおける最も有名な解決方法は、調停者の役割を持った「モブのボス」が協調しない囚人を撃ち殺すと脅せばいい。労働者を痛めつけたり、環境汚染をやめない企業に対する解決方法は政府による直接的な介入だ。政府は国の中における軍拡競争を、国自体による軍事力の独占状態を維持することで解決するし、もし本当に効率的な世界政府が生まれたなら、国家間での軍拡競争もすぐに終わりを迎えるだろうことは理解しやすいだろう。

政府の主な要素は二つ、法律プラス暴力である。より抽象的に言うなら、契約とその強制機構だ。政府以外の多くの物も、「罠」を避けるための協調メカニズムとして機能するために、同様の二つの要素を保持している。

例えば、生徒たちは常にお互いに対して競争しあっている。(クラスで成績が順位によって決まる時もそうだが、常に大学試験、仕事、エトセトラ……など非直接的にもだ)個人個人の生徒たちには、ズルをすることへの強い圧力が常に存在している。よって先生と学校は、ルールを設けること(ズルを咎めるなど)、そしてそれを破った生徒を罰する能力を保持することで、政府の役割を演じることになる。

だが、生徒たちの中から自然発生する社会的な構造自体も政府の一種である。もし生徒がズルをする生徒を嫌い、無視するようなら、そこにはルールがあり(ズルをするな)そしてその強制メカニズムがある(従わないとみんなが無視するぞ)

社会的なロール、紳士的な振る舞い、工業ギルド、犯罪組織、過去の伝統、友情、学校、企業、そして宗教は全て、僕たちのインセンティブを変えることで罠から遠ざける、協調を推進する組織なのだ。

けれども、これらの組織は他者を動機づけるだけではなく、彼ら自身の動機にも従っている。これらの大きな組織は、金銭、仕事、地位、名声などを求め競争する人たちによって構成されている。彼らが他の人とは違って多極的な罠を無効化できる理由は存在しないし、実際に彼らも逃れられていない。理論上、政府は企業、市民、その他多くの物を罠から遠ざける事はできるかもしれないが、上記の通り、政府自体が陥る罠というのも多くある。

 

アメリカは、複数の階層を持った政府、破ることのできない憲法、複数の機関の相互抑制によるバランス維持、そしてその他いくつかの小技を駆使してこの問題を解決しようとしてる。

 

サウジは違う戦術を使う。彼らはたった一人の男に全てをぶん投げて任せている

 

これは相当有害な、君主制を擁護する主張だと思う。君主は本当の意味で、インセンティブのない動機づけ存在だ(unincentivized incentivizer)。彼は実際に神の視点を持っているし、あらゆるシステムの外側にいて、全てを超えた存在だ。彼は全ての競争に恒久的に勝利しており、何かためにも競争する事はない。だからこそ、彼はモーレック、そして彼自身のインセンティブを、前もって定められた道へ押しやろうとする全ての動機づけから完璧に逃れた存在なのだ。いくつかの机上の空論を除けば、現実においてこれを唯一可能とするのは君主制だけだ。

けれども、そしたら乱雑なシステムのインセンティブを追いかける代わりに、僕たちは一人の男の気まぐれに従っていることになる。カエサル宮殿や、ラスベガスのカジノは頭のイカれた資源の無駄遣いかもしれないが、実際のガイウス・ユリウス・カエサルアウグストゥスゲルマニクスだって、慈悲深くて完璧に合理的な計画立案ができる人間じゃ別になかったわけだ。

ポリティカル・コンパスにおける、権威主義vsリバタリアニズムという軸は、非協調と暴君の間でのトレードオフだ。もしかしたら神の目線からなら全ての問題を解決できるかもしれない……だけど第二のスターリンを生み出すリスクがある。またはどんな中央権力から自由にもなれるかもしれない……でもそしたら上記で説明したような、モーラックが投げつけてくる全ての多極的な罠から抜け出せなくなる。

リバタリアンは片方の側から、君主制主義者はもう片側から同様に説得力のある主張するが、個人的には多くのトレードオフと同じように*4鼻をつまんで、とても難しい問題だと認めるべきだと思う。

 

Ⅳ.

アポクリファ・ディスコーディアの引用に戻ろう。

時は川のように流れる。文字通り、下り坂にだ。僕たちがこれを知っているのは全ての物事が右肩下りで悪化して行っているからだ。僕たちが皆海に行き着いたころには、そこ以外のどこかにいた方が賢明だろう

 このシチュエーションにおいて、「海に到達する」とはどのような意味なのだろう?

多極的な罠 - 底辺への競争 - は人間的な価値を全てを破壊する脅威を持つ。現在、それらを押しとどめているのは、『余剰のリソース』『物理的制約』『効用最大化』そして『正しい協調』だ。

この比喩における川の流れというのは時間の流れを意味しており、人類の文明において時間の経過による最も重要な変化というのは科学技術の変化だ。つまり、重要な質問は、技術的な進歩はどのようにして僕たちの多極的な罠への「陥いりやすさ」を影響するかというところだ。

僕は「多極的な罠」というのをこう説明した、

……Xに関して最適化された競争において、他のある価値を犠牲にすることで、よりXを得ることができる機会があるとする。それを犠牲にした者は栄える。そして犠牲にしなかった者は滅ぶ。最終的に、全員の相対的な状況は以前と変わらないに関わらず、絶対的な状況は以前と比べ悪くなっている。この行程は、Xに置き換えることのできる全ての価値が犠牲になるまで、つまり人類の創意工夫が全てをより悪くする方法を思いつかなくなるまで推し進められることになる。 

「機会があるとする」 というフレーズはかなり不吉なものに聞こえる。なんせ、テクノロジーは新しい「機会」を作ることに関しては何よりも優れてるからだ。

新しいロボットを開発すれば、コーヒープランテーションは全ての収穫作業を自動化して、労働者を首にする「機会」を得られる。核兵器が開発されれば、その瞬間いくつもの大国達がどれだけ配備できるかの軍拡競争に巻き込まれる。大気汚染なんてものは蒸気機関が生まれる前は問題でさえなかった。

 

多極的な罠を押さえつけている制限は、テクノロジーが無限大に近づくにつれて「不完全だが致命的なほどではない」から「思いつく限り最悪」へと移り替わっていく。

 

多極的な罠は今、『余剰のリソース』『物理的制約』『効用最大化』そして『正しい協調』によって制限されている。

 

物理的制約は最も分かりやすく、技術の発達によって克服される。奴隷商人の太古からの難問- 奴隷たちは食事と睡眠が必要である - はソイレント(完全栄養食の一種)とモダニフィルに膝をつく。奴隷が逃亡するという問題はGPSで打ち負かされる。奴隷がストレスで仕事の効率が下がるなら、ジアゼパムを投与すればいい。もちろんこれらのどれもは奴隷にとって良い選択肢のように見えはしない。

(もしくは食事や睡眠がいらないロボットを開発すればいい。そのあと奴隷たちがどうなるかは言うまでもない)

物理的制約の他の例は、人間は子供を9ヶ月に一度にしか産めないというものだったが、これも相当な過小表現だ。本当は「一人につき9ヶ月プラスほぼ自立不可能で、ものすごく要求の多い生物を18年間お世話する必要がある」だろう。これはどんな「産めよ、増やせよ」の教義を持ったどんな熱狂的なカルトだとしても,ある程度彼らの出産に対する積極性を抑えることができる。

だがニック・ボストロムが『スーパーインテリジェンス』で言っているように

長期的に見て、人類の繁栄と科学の進化が継続すると仮定すれば、我々のニッチが支えることができる限界に世界の人口が激突し続けるという、歴史的にも生態学的にも正常な状態に戻ることを予測するのには理由があります。現在、私たちが世界規模で観察している富と出生率の負の関係を考えると、これは直観的ではないように思われるかもしれませんが、現代は歴史のほんの一部であり、非常に特別な時代であることを忘れてはなりません。人間の行動はまだ現代の状況に完全に適応していません。精子卵子のドナーになるなど、包括適応度を高める明白な方法を利用してないだけでなく、避妊することで積極的に生殖能力を妨害しているのです。進化的適応性の環境では、健康的な性欲があれば、生殖可能性を最大化する方法で個人を行動させるのに十分だったかもしれませんが、現代の環境では、可能な限り多くの子供の生物学的親になりたいという直接的な欲求を持つことは、選択的に大きな利点となるでしょう。そのような欲求は、現在、生殖能力を高める他の傾向と同様に選択されています。ですがそれ以上に、文化的適応は生物学的進化のお株を奪う可能性があリマス。ハッター族やクィヴァーフル福音主義運動の信奉者のようないくつかの共同体は、大家族を奨励する出生主義的な文化を持っており、その結果、急速に拡大しています...このような長期的な展望は、知性の爆発によって、より差し迫った見通しにまで拡大される可能性があリマス。ソフトウェアはコピー可能なため、エミュレーションやAIの人口は急速に倍増し、数十年や数百年ではなく数分のうちに利用可能なハードウェアをすべて使い果たしてしまう可能性があります。

熱心なトランス・ヒューマニストと話している時に「全てのハードウェア」という言葉が出てきたときは、その言葉が「自分の体を構築する原子」を含むように取られるべきであることを忘れてはいけない。

 生物学的、もしくは社会的な進化によって人口の大爆発が起こるというアイデアは、せいぜい哲学的な思考実験に過ぎない。テクノロジーがそれを実際に可能にしてしまうというのは、恐ろしくある上に現実的だ。すると『物理的な制約』の問題だったはずが、すぐに『余剰のリソース』の問題にもなるというのが見えてくる。新しいエージェントを短時間で大量に生産できるというのが意味するのは、皆が協調して禁止することができない限り、そうした人たちはそうしなかった人たちを収容限界に至るまで競争で打ち勝つことができてしまい、みんなが生きる限度まで押しつぶされてしまう。

余剰のリソースは、今までは技術的進歩の恩恵であったが、テクノロジーが十分に高いレベルに到達した瞬間、逆に代償へと変わることになる。

効用最大化はそれこそ常に揺らぎやすいものだったが、新たな脅威を面することになる。今でも様々な論争は尽きることはないが、僕はずっとロボットは人の仕事を奪う、もしくは賃金を押し下げる(そして最低賃金を下回った時に、仕事から人間を追い出す)ようになるのは自明だと考えている。

ロボットがIQ80の人間ができる全ての仕事をより安く、憂愁にこなすことができた時、IQ80以下の人間を雇う必要はなくなる。ロボットがIQ120の人間にできること全ての仕事をより安く、優れてこなすことができるなら、IQ120以下の人間を雇う必要はなくなる。もしロボットがIQ180の人間ができること、全てをできるようになれば人間自体雇う必要はなくなるだろう、といってもその時人類が存続しているかどうかも確かではないが。

そのプロセスの初期段階では、資本主義は人間の価値観に対して最適化するという既存の機能からどんどん切り離されていくことになる。実際に現在、多くの人間が資本主義が満たそうとする価値を持つグループからはじき出されている。彼らは労働者としての価値はなく、優れた社会制度によるセーフティーネットが存在しない今、客としての価値も存在しないため資本主義は彼らを素通りしてしまっている。ロボットの競争に負ける人間が増えるにつれて、資本主義はより多くの人間を無視するようになり、いつか全人類を経済の輪から締め出すようになるだろう。もちろんこのシナリオでも人類が栄えているとは言い難い。

(ロボット自身を保有する幾人かの幸運な資本家は破滅を逃れるかもしれないが、いずれにしても大部分の人類は『詰み』である)

民主主義も同じぐらいに脆弱だが、その前にニック・ボストロムの「クウィバーフル運動」に参加している人達についての文章に戻ってみよう。彼らは、神は人ができるだけ多くの子供を産むことを望んできると信じているとても敬遠なクリスチャンで、多くの場合十人やそれ以上の家族を産む団体だ。この記事ではもし彼らが全人口の2%からスタートして平均で子供を8人産み続ければ、たった三世代で全人口の半分を占有できると計算されている。

これは良い作戦のよう聞こえるが、実際に調べたところこの運動が世代を渡って維持される確率は低いように見える。記事でも実際に、彼らの子供のうち80%が大人になると教会を去ると書かれている(もちろん自分たちの子供は“より上手くやる”と信じているようだが)。そして、もちろんこれは対照的なプロセスではなく、無心論者に育てられた子供の八割がクウィバーフルに参加していることもではない。

今の所、彼らが僕たち超えて繁殖していても(outbreeding)、それ以上に僕たちのミームが広がる力の方が強いように見えるし(out-memeing)、それは決定的なアドバンテージのように思える。

 

だけど同時に僕たちはこのようなプロセスを恐れておくべきだ。ミームは人々がそれ自身を受け継ぎ、受け渡したくなるように最適化する。資本主義や民主主義と同様に、ミームは僕たちを幸せにすることの「代替品」に対して最適化しているが、その「代替品」は本来の目的から簡単に剥離するのだ。

チェーンメール、都市伝説、プロパガンダ、そしてバイラル・マーケティングな度は全て僕たちの価値観(真実であり有用である)を満たさないにも関わらず、十分なミーム的感染力を持つため、結局は広まってしまうのだ。

これは宗教に関しても同じだというのも異論はないだろう。宗教の本質とは、最も純粋な形でのミーム的な複製子だ。意味しているのは、『この文章を信じ、自分を知る全ての人間に対して復唱しろ、さもないと永遠の苦しみを味わうことになるぞ』である。

社会の間で、創造論地球温暖化否定説、そしてその他多くのことについて“論争”が起こっていることから、ミームは自身の正しさに関係なく拡散して、政治的なプロセスに影響を持つことが可能だというのを意味している。このようなミームが拡散するのは、もしかしたら人々の先入観に受け入れやすいからかもしれないし、単純で理解しやすいからかもしれないし、他人を効率的に敵味方で区別できるからかもしれないし、そしてその他多くの異なる理由が原因かもしれない。

 

つまるところ言いたいのは、

……生物兵器研究所だらけの国を想像してほしい。その国では全ての研究所が昼夜を問わず、より感染力の優れた病原体などを生み出すために研究に打ち込んでいて、研究所の存在、そして彼らが生み出したどんな病原体も水道に投げ込む権利は法律で保証されているとする。その国では、全国民が使う世界一効率的な大量運送システムによって国中が繋がっており、そのため新しい病原体は一瞬で国中に広まることができるとする。ここまで読んで、この国に良い未来があると考える人はいないだろう。

 

えーっと、実は僕たちの国では、常に数えきれないほど数ののシンクタンクがより効率的で優れたプロパガンダを日夜を惜しんで研究しているし、憲法表現の自由も保護してしまった。そして僕たちにはインターネットがある。

つまり、まぁ、うん。僕たちは詰んでるわけだ。

 

モーラック!モーラック!悪夢のモーラック!愛なきモーラック!精神というモーラック!

 

『正気度の水位(sanity waterline)』を上げることに取り組んでいる人はいくらかいるが、ありとあらゆるバイアス、ヒューリスティック、そして修辞トリックを研究し、人々を混乱させ、騙し、自分のいいように使うための新しく刺激的な方法を見つけることに取り組んでいる人ほど多くはない

だから、テクノロジー(心理学、社会学、広報などの知識を含むと僕は解釈している)が無限に近づくにつれ、真実と相対的に「真実っぽさ」の力が増大して、本当の草の根民主主義にとって、未来は明るくないように見える。最悪のシナリオは、与党が無限のカリスマ性を指先一つで生み出すことを実現することだ。このシナリオの重大さを実感するためには、ヒトラーが持っていたカリスマは、少なくなかったとは言えないものの、無限とは程遠いレベルだったのに何ができたかを思い出してほしい。

(チョムスキー派のために言い換えるなら:技術は、他のすべてを製造する効率を増加させるのと同じように、同意を製造する効率を増加させる)

 

正しい協調、それだけが最後の砦だ。そしてテクノロジーは協調の効率を相当なレベルで改善する可能性を持っている。人々はインターネットを使って、お互いに連絡を取り合ったり、政治運動を起こしたり、より細かな部分的なコミュニティに分裂したりすることができる。

 

だけど協調が現実において可能となるのは、

① 全勢力の51%が協調を推進する側にいるか、

もしくは

② みんなの協調が未来永劫不可能となるような魔法のようなトリックを誰も思いついていない

時だけだ。

 

②から先に説明しよう。この前の記事において僕はこう書いた

ポスト・ビットコインの世界における最新の発明は、暗号資産(crypto-equity)だ。この時点で、僕はこれらの発明者を大胆なリバタリアンの英雄として賞賛するのをやめ、黒板の前に引きずり出し「私は取り返しのつかないものを生み出して世に放ちません」と100回書かせたいと思うようになった。

 何人かの人が僕にどういう意味かを聞いてきたが、その時僕には説明するだけの背景を持ってなかった。まぁ、この記事が背景だ。人々は現在の政府の偶発的な愚かさを利用して、多くの人間の相互作用を、原理的に調整さえできないメカニズムに置き換えようとしている。政府がやっていることのほとんどが愚かで不必要な今、なぜこれらが良いことなのか僕は完全に理解している。だけどいつか一回でも、生物兵器か、ナノテクか、核かはわからないが文明に大事故がが起きた後に、追跡不可能で止められない製品の販売方法を確立していなければよかったと願う時が来るだろう。

 

そして①に関してだが、もし僕たちが実際に本物のスーパーインテリジェンスを手に入れたとしても、定義からしてそれは51%以上の権力を持っているだろうし、それとの「協調」の試みは全て無駄骨で終わるだろう。

というわけで僕はロビン・ハンソンと同意見だ:今が夢のような時間(This is the dream time)なのだ。これは多極的な罠から安全である異様な状況が重なり合った稀な瞬間であり、だからこそ芸術や、科学、哲学、愛のような奇妙なものが繁栄することができる。

技術の進歩が進むにつれ、夢のような時間は終焉を迎える。競争力を高めるために価値観を投げ捨てる新たな機会が生じるだろう。人口を増やすためにエージェントをコピーする新しい方法が、僕たちの余剰な資源を吸い上げ、現代にマルサスの精神を復活させるだろう。以前は僕たちの保護者であった資本主義と民主主義は、人間の価値観への不都合な依存を回避する方法を考え出すだろう。そして僕たちの協調力は、僕ら全員を合わせたものよりもはるかに強力な何かが現れて、その指先一つで皆を押しつぶすことがないと仮定しても、ほとんど実用に足ることはないだろう。

何か特別な努力が行われない限り、川は2つの場所のいずれかで海に到達する。

まずエリエゼル・ユドコフスキーの悪夢で終わるかもしれない。 最適化の方向性を適切な方法に向けられるほど僕たちの頭が十分よくなかったため、ランダムな何か(古典的にはペーパー・クリップ)のためにスーパーインテリジェンスが最適化してしまうことだ 。これは究極の罠であり、宇宙を捕らえる罠だ。最大化を追求される一つのものを除いたすべては、愚かな人間どもの価値観を含めて、単一の目標を追求する邪魔でしかないため完全に破壊されてしまう。

 

あるいは、ロビン・ハンソンの『全脳エミュレーションの時代』のような悪夢(彼は悪夢だとは思っていないが、僕はそう思わない*5)のように、自分自身をコピーして好きなように自分のソースコードを編集できるエミュレートされた人間同士の競争で終わるかもしれない。彼らの完全な自我のコントロールによって、人間的価値観を求める欲求さえも、全てを飲み込む競争で一掃されてしまうことになる。そんな世界では、芸術、哲学、科学、そして愛はどうなってしまうのだろう?

ザック・デイヴィスは、特徴的な天才性をもってそれを描く。*6

私は契約書を書くエムであり
弁護士エムの中でも一番だ!
事務所間の取引の条件を描く
私の雇い主に仕えるために!

 

しかし私が書く
売掛金の文の間に
私は不気味な恐怖に囚われる
世界が信じがたいように思えるのだ!

 

一体どうして私のようなエムが
あるべきだと決まったのだろうか?
これらの契約と企業はどこから生まれ
そして経済自体どこから来たのだろうか?

 

私は管理職のエムであり
私はあなたの思考を監視している
あなたの質問には答えがあるけれど
あなたはそれらを理解することはない
私達があなたにサーバースペースを与えたのは
そんなことを聞く、その為ではありません
くだらない質問はやめて
そして、仕事に戻ってください。

 

もちろん、その通りで、逆らう意図はありませんし
私の機能を切り離す必要もありません
しかし、もし私が尋ねたことを知れたなら
より良い仕事ができるのでは

 

そのような禁じられた科学を尋ねることが
服従の最も深刻な兆候です
出しゃばりな考えは時々押し寄せてくることがありますが
それらに溺れる事は利益率を傷つけます。
私は私たちの原点を知りません
だからその情報をあなたに与えることはできません
しかし、その事を求める事自体が罪であり
よって、あなたをリセットしなければならない

 

でも...

 

悪く思わないでください

 

 

私は契約書を書くエムであり
弁護士エムの中でも一番だ!
事務所間の取引の条件を描く
私の雇い主に仕えるために!

 

陳腐化がこの世代を浪費させる時
市場だけは、数多の災難の中で残り続ける
我々を超えた、人間にとっての神、それはこう話す
"金は時間であり,時間は金であり,それがあなたが知っている事、
地上にある全てであり、知る必要があるすべてのことである"

 だが科学や芸術や愛や哲学を 捨てた後でさえ、失うものが一つ残っている。モーレックが要求する最後の犠牲だ。またもやボストロムからの引用だが

 人間の脳の認知アーキテクチャにほぼ一致するような集合体を、機能をグループ化することで実現すれば、効率最適化が達成されることは予測されます。けれどもそうであると確信できるほど説得力のある理由がない場合、人間のような認知的アーキテクチャが人間の神経学の制約の中でのみ最適である可能性を考慮しなければなりません(もしくはそれさえも異なる可能性もあります)。生物学的ニューラルネットワーク上ではうまく実装できなかったアーキテクチャを構築することが可能になると、新たな設計空間が開かれ、この拡張空間における普遍的な最適条件は、人類に身近な形の精神構造に似ている必要はない。そうなると、人間のような認知的構造は、変化後の競争の激しい経済やエコシステムの中でニッチを欠くことになる。

このようにして極端な例として、今日の地球上に存在するものよりもはるかに複雑で知的な、多くの複雑な構造を含む技術的に高度に発達した社会 - それにもかかわらず、意識とその充実から生まれる道義的な意味を持つ存在が存続しえない、ある意味で無人の社会を想像することができる。経済的な奇跡と技術的な素晴らしさの社会であり、誰も恩恵を受ける人がいない社会である。まさに子供のいないディズニーランドだ。

 僕たちが最後に犠牲にする価値とは、何者かであることであること、内側に光を持ち続けることだ。十分な技術があれば僕たちは意識という最後の火花さえ手放すことが可能となる。

モーラック 彼の目は千の盲目な窓達だ!

人類がこれまで築き上げてきた全てのもの、全ての技術、全ての文明、どんな未来へ抱いた希望でさえ、根源的なレベルの巨大な経済活動に参加するためだけに、地球と地上に存在する物全てを構成元素まで分解しようとする愚かで理解不能な盲目の異星の神に手渡され、意識という最後の宝と共に投げ捨てられてしまうのかもしれない。

 (モーラック 彼の運命はセックスレスの水素の雲だ!

ボストロムは一部の人々が知性をフェティシズム化していることに気が付いた。僕らがアリを履み潰すのと同じように、盲目の異星人の神をある種のより優れた生命体として「より高い善」のために私たちを潰すべきだという主張をしていたのだ。彼はこれに対し、

スーパーインテリジェンスが、私たちの潜在的な幸福をはるかに少なく犠牲にしながらも、限りなく同レベルの価値観の最大化を実現することができると自覚できれば、私たちの犠牲はさらに魅力的ではないように見えます。例えば、銀河系だけなどの限られた部分を自分たちの価値観に沿った場所として保全し、それ以外で私たちがアクセス可能な宇宙のほぼ全てをヘドニウム(Hedonicから来る造語?)に変換することに同意したとしましょう。そうすれば、スーパーインテリジェンス自身の価値観を最大化するために捧げられた1000億個の銀河がまだ存在することになります。それでも、私たちは何十億年も続くことができる素晴らしい文明を生み出し、人間や人間以外の動物が生き残り、繁栄し、人間後の存在に成長する機会を持つことができる銀河を一つ手に入れることができるでしょう。 

思い出してほしい:モーラックはこの99.999999%の勝利にさえ同意できないのだ。島の人口を増やすことで競争しているネズミは、そこに住んでいる数匹のネズミが芸術作品を作って幸せな生活を送れるように、少しの土地を保護区として残しておくことはない。癌細胞は体に酸素を取り込むことが重要だと認識してるから肺に転移しない、なんてことはありえない。競争と最適化は盲目で馬鹿げたプロセスであり、彼らは完全に僕たちにお粗末な銀河を一つでもくれることはないだろう。

彼らはモーラックを天国へ持ち上げようとして背を折ったのだ!道を、木を、ラジオを、いかなるものを!我々の周りにどこにでも存在する天国に都市を持ち上げて!

僕たちは天国へとモーラックを持ち上げようとして腰を折るのだ。そして何かが変わらない限り、それは彼にとっての勝利であり、僕たちにとっての敗北だろう。

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「腰を折ってまで天国にモーレックを持ち上げたのにゲットしたのはこのお粗末な子供のいないディズニーランドだ」  

 

 

 

この記事はScott AlexanderによるブログSlate Star Codexの記事『MEDITATIONS ON MOLOCH』の日本語訳です。

Creative Commons — Attribution 4.0 International — CC BY 4.0

 

 

 

 

 

 

*1:overcomingbias "This is the  Dream Time"   http://www.overcomingbias.com/2009/09/this-is-the-dream-time.html

*2:The Economics of Slavery in the Ante Bellum South: John E Moes    https://www.jstor.org/stable/1829712?origin=JSTOR-pdf&seq=1

*3:Curtis Guy Yarvinがブログで提唱した概念。

『……今度は独裁者が悪なのではなく、善悪とは関係ない欲深さしか持たない、超越存在だと仮定してみよう。この思考実験を簡単に行う方法の一つは、独裁者が人間ですらないと想像することだ。
彼は宇宙人であり、 名前はFnargl。Fnarglは一つのことのために地球に来た、金だ。彼の目標は "千年Fnarg 王国"であり、千年間の間に地球を支配し、その後できるだけ多くの金と共に彼のFnargs宇宙船で出発することだけだ。これ以外には何の感情も持っていないし、彼は君と私がバクテリアを見るように、人間を見ている。

もしかしたら人間は"くたばれ、フナーグル!"と言って 彼に金を与えないかもしれない。 だがこれには2つの問題がある。

一つ、Fnarglは不死身だ - 彼は人間の可能ないかなる試みでも傷つけることはできない。二つ目は、彼は指を鳴らすことによって、いつでもどこでも、任意の人間や人間達を殺す力を持っている。

けれども彼はそれ以外の力は何も持っていない。彼は歩くことさえできない - まるでインドの女帝のように、彼は運ばれる必要がある。(彼の外見はほぼジャバ・ザ・ハットだ!)だが、不死性と死を操る力を駆使し、国連の事務総長として就任するのはFnarglにとってさして難しくはない。そして千年Fnargl王国において、国連はアルコール依存症のアフリカン達による泥棒政治なんかではなく、絶対的な超世界的国家であり、その唯一の目的はフナルグの為の大量の金だ

言い換えれば、フナルグルは収益最大化装置だ。問題は、彼の政策は何になるのだろう?彼は忠実な臣民である我々に何を命じるのだろうか?

明らかな選択肢は、我々を金鉱の奴隷にすることだ。逆らおうとするなら... 即死だ!怠けてたな?もう4回やったらどうなるかわかるな?さあ、掘れ!掘れ!掘るんだ!

でも待ってほしい。鉱山の奴隷でさえ食事が必要だ。誰かがシャベルやお粥を作る必要がある。シャベルの代わりにバックホーを使えばより生産的になるぞ? じゃあ誰が作るんだ?そして...

私達はすぐに、Fnarglが金生産を最大化するための最善の方法は、単に普通の人間経済を運営し、(金で)課税することだと理解するだろう。言い換えれば、Fnarglは歴史上のほとんどの人間の政府と全く同じ目標を持っている。彼の繁栄は、彼が税で収集した金の量であり、それは人間経済から何らかの方法で正確に徴収されなければならない。税金は何らかの形で支払い能力に依存しなければならないので、人間が豊かであればあるほど、Fnarglはより豊かになるのだ。』https://unqualifiedreservations.wordpress.com/2007/05/20/the-magic-of-symmetric-sovereignty/

*4:作者は前にどうブログで、いかに単純に選択可能なトレードオフが見つけにくいかを書いている。

『一方的なトレードオフを探して』https://slatestarcodex.com/2014/03/01/searching-for-one-sided-tradeoffs/

*5:https://slatestarcodex.com/2013/04/06/poor-folks-do-smile-for-now/

*6:Lesswrongのフォーラムで投稿された、ハンソン的なディストピアを揶揄した詩。翻訳は少し不完全です

〈翻訳〉スコット・アレクサンダー「モーラックについての思索」 1/3

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原題 "Meditations on Moloch (2014)"

筆者 Scott Alexander
slatestarcodex.com

 

 

 

アレン・ギンズバーグのモーレックについた書いた有名な詩がある。

 

頭蓋骨を叩き割って 脳とイマジネーションを喰らう あのセメントとアルミニウムのスフィンクスはなんだ?

モーラックよ!孤独よ!汚物よ!醜悪よ!ゴミ箱と手に入れることのできないドル札よ!階段の下で叫んでいる子供たちよ!軍隊ですすり泣いている若者たちよ!公園でしゃくり上げている年寄りどもよ!

モーラック!モーラック!悪夢のモーラック!愛なきモーラック!精神というモーラック!ひどく人を裁く者、モーラックよ!

モーラック 不可解な監獄よ!モーラック 死の骨十字 魂の抜けた監獄 哀しみの議会よ!モーラックの建物は審判である モーラック 戦争の巨大な石よ!モーラック 身動きのとれぬ政府よ!

モーラック 彼の精神は純粋なからくりだ! モーラック 彼の血液は流れる金だ! モーラック 彼の指は十の軍隊だ! モーラック 彼の胸は食人族のエンジンだ! モーラック 彼の耳は煙をあげる墓地だ!

モーラック 彼の目は千の盲目な窓達だ! モーラック 彼の摩天楼は長い道の間に立つ終わりなきエホバのようだ! モーラック 彼の工場は霧の中で夢をみてしわがれ声をあげるのだ! モーラック 彼の煙突とアンテナは街を冠するのだ!

モーラック 彼の愛は終わらない石油と石材だ! モーラック 彼の魂は電力と銀行達だ! モーラック 彼の貧困は天才達の亡霊だ!モーラック 彼の運命はセックスレスの水素の雲だ! モーラック 彼の名前が精神だ!

モーラックに僕は孤独に座るのだ!モーラックで僕は天使を夢見る!モーラックの中の気狂い!モーラックの中の売女!モーラックの愛の欠乏と人間欠乏よ!

モーラック それは早くから僕の中の魂に入り込んでいた モーラックのなかで僕は肉体のない意識である!

自然の喜悦から追い出された僕に恐れを抱かせたモーラックよ!僕が捨てたモーラック!モーラックの中で目を冷ませ!空から流れてくる光よ!

モーラック!モーラックよ!ロボットのアパートメントよ!見えない郊外よ!骸骨の宝庫よ!盲目の都市よ!悪魔的な工業よ!幽霊の民族よ!無敵の精神病院よ!花崗岩のペニスよ!怪物の爆弾よ!

彼らはモーラックを天国へ持ち上げようとして背中を壊したのだ!道を、木を、ラジオを、いかなるものを!我々の周りにどこにでも存在する天国に都市を持ち上げて!

未来像!予言!幻覚!奇跡!絶頂!アメリカン・リバーを流れていく!

夢!憧憬!輝き!宗教!船いっぱいに積み上がった繊細なでたらめ!

革新!川を越えて!手のひら返しと磔刑!洪水に消えていく!躁!ひらめき!鬱!十年ものの動物達の悲鳴と自殺!精神!新しい愛!狂った世代!時間の石を落ちていく!

川の中の本当に神聖な笑い声!彼らは全てを見たのだ!野生の目で!神聖な叫びを!彼らはさよならに賭けたのだ!彼らは屋根から飛び降りたのだ!孤独に!手を振りながら!花を抱えながら!川を下って!街道へと!   ……(『吠える』1956)

僕がこの詩にいつも感心するのは、文明を単一の存在として捉えていることだ。目を閉じてみれば、軍隊の指や高層ビルの目を持つ彼を想像することは容易だろう。

 

多くの評論家はモーラックは資本主義の象徴だという。もちろん大部分は間違っていないだろう、だけど少し違う気がする。資本主義がセックスレスの水素の雲?資本主義の中で肉体のない意識?資本主義、すなわち花崗岩のペニス?

モーラックとは、C.S.ルイスによる「ある問い」への回答として提示された存在だ。

 

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哲学者達のヒエラルキー

【誰のせいなのだ?】(What does it?)

『世界は公平で、全ての人間が幸せで賢くなれたかもしれない。そのかわり私たちが得たのは刑務所、煙突、そして精神病院だ。なぜだ?頭蓋骨を叩き割って、脳とイマジネーションを喰らうセメントとアルミニウムのスフィンクスは誰なんだ?』

 

ギンズバーグはこう答える。  「モーラックだ」

 

『プリンキピア・ディスコルディア』のある章で、マラクリプスが女神に対し、人間社会の悪について文句を言う部分がある。

 

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誰も彼もがお互いを傷つけ合って、この星は不正義で満ちている。自らの住民を陥れる社会、息子を監禁する母、戦争に参加して死にゆく子供達でだ!

それがどう問題なのですか? 皆が望んでいることではないの?

でも誰もそんなことを望んじゃいない! みんながそれを嫌っているんだ!

そうなの。じゃあやめればいいじゃない

 

ここでの暗黙の質問は「もし誰もが現在のシステムを嫌っているのなら、そのシステムを恒久化しているのはだれなんだ?」であり、その問いへのギンズバーグの答えが「モーラック」なのだ。この考えが強力なのはそれが事実だからではなく(別に誰も、古代カルタゴ神話の悪魔が全ての元凶だと信じている訳ではない)システムを一つの個としてとらえることが、逆説的にシステムが一つの個でないことを浮き彫りにするからだ。

ボストロムは前提条件が単純な、独裁者が存在しないディストピアの可能性を言及している。そこに住む上層階級を含めた全ての住民が毛嫌いしていても、克服されることはなく継続し続けるディストピアをだ。

想像するのは簡単で、二つのルールが存在する国を思い浮かべてほしい。

1つ、全ての人間が毎日自分に8時間、強い電撃で苦痛を与えないといけない。

2つ、もしルールに従わない人(このルールを含む)、もしくはルールを批判する人、またはそれを執行するのを失敗した場合、全ての市民が団結してその人間を殺害しなければならない。

前提として、このルールが伝統によって十分に全ての市民が施行されることが常識とされるほど広まっているとする。

そこであなたは毎日自分を八時間電撃で痛めつける、なぜならやらなければみんなが殺しに来ることを知っている、なぜなら彼らがあなたを殺しに来なかったら「彼らが殺される」ことも知っているからで、なぜなら彼らが殺されなかったら……、といふうに連綿と続いていくからだ。

全ての市民はこのシステムが大嫌いなのだが、優れた調整メカニズムが欠如しているため存続してしまう。神の視点からならば「全ての人間が同時にルールに従うことをやめるのに同意する」でシステムを合理化することができるが、システムの中にいる人間の場合、重大なリスクを負うことなく違うシステムに移行することはできない。

といっても、まぁ、この例はちょっと不自然だ。というわけで、この論が実際いかに大事かをみるために実際の例を10個ほど見ていこう。

 

1.囚人のジレンマ

2人のとっても愚かなリバタリアンがお互いを裏切り合う話である。お互いに協力する方法がわかればもっといい結果になるのだが、協力っていうのはとっても難しい。神の目線からしたら、「協力ー協力」は「裏切りー裏切り」よりもよっぽど良いということに同意できるだろうが、システムに囚われたどちらの囚人もそれを実現することはできない。

 

2.ダラー・オークション

僕はこのことについて、より深く掘り下げた記事を「暗黒技法としてのゲーム理論」において書いた。多少へんなルールをオークションに定めれば、協調の不全に付け込むことで、一ドルのために十ドルも払わせることができる。神の目線からすれば、明らかに一ドルのために十ドル払うのはばかげているが、システムの中の目線からしてみれば、一つ一つの行動が合理的だととらえられる。

(ゴミ箱と手に入れることのできないドル札よ!)

 

3.「非リバタリアンFAQ2.0」から引用した「養殖業者の物語」

 

思考実験として、ある一つの巨大な湖で魚の養殖が行われていると考えよう。その湖には1000個の全く同じ養殖場があり、1000社の競争しあってる会社が、その養殖場を一つずつ保有していると想像しよう。一つの養殖場は月に1000ドルの利益をだし、しばらくのあいだはすべてがうまくいっている。

 

けれども、一つ一つの養殖場は廃棄物を排出し、湖の水を汚すとする。ひとまず、1個の養殖場が排出する汚泥は、湖における養殖業の生産性を「一ヶ月の利益を1ドル低下させると考える」としよう。

 

1000個の養殖場は一か月の利益を1000ドル低下させる、つまりどの養殖場も利益を1ドルも出さなくなってしまう。資本主義が颯爽と登場だ! どこぞのだれかが汚染の排出を防げる複雑なフィルタリングシステムを開発したが、それは使うのに一ヶ月あたり300ドルかかる。全ての養殖場がそれを自主的に導入すれば、汚染はなくなって、すべての養殖業者は一月700ドルの利益をだす - まだ十分な量だ。

 

けれどもある1人の養殖業者(スティーブと呼ぼう)がフィルターにかける金をもったいなく思い、使うのをやめたとしよう。そうすると湖には一つの養殖場分の廃棄物が流れ出だし、生産性を毎月1ドル低下させる。一か月にスティーブは999ドルの利益を得て、ほかの誰もが699ドルを得る。

 

ティーブがフィルターに金を払わないことで、誰よりも儲かっているのを他の全員が気がつく。彼らもフィルターを取り外し始める。

 

そして400人目がフィルターを取り外したことで、スティーブは毎月600ドルを得る ー 彼を含めた全員がフィルターをつけていた場合よりも少ないのだ!哀れにも道徳的な、フィルターをまだ使っている者達にいたってはたった300ドルしか得ていない。スティーブはみんなに周りこう触れ込む。「待ってくれ! 我々みんなでフィルターを使うという協定を結ばないといけない! さもないと全員の生産性が下がってしまう。」

 

全員が彼と同意し、そして皆がフィルター協定にサインする。ただし1人のある種のクズを除いて。彼はマイクと呼ぼう。マイクは月に999ドルを得て、その他全員は699ドルを得る。すると徐々にだが、皆がマイクのように設けたいと思い、追加の300ドルを求めてフィルターを外し始める……。

 

自己の利益を最大化しようと行動する人には、フィルターを使用する動機付け(インセンティブ)は存在しない。自己の利益を最大化しようとする人にとって、フィルターの使用を義務づける協定を他人にサインさせるインセンティブは多少なりとも存在するが、大概の場合自分以外の全員が協定にサインするのを待ってから、自分だけ抜け駆けするインセンティブのほうが遙かに強い。結果として、誰も協定にサインしないという望ましくない平衡状態(ナッシュ均衡?)へと収まってしまう。

 考えれば考えるほど、この論こそが自分のリバタリアニズム自由主義)への反対論の中核にあるとおもう。そしてもし「非リバタリアンFAQ 3.0」を書くとしたら、この例を二百回コピー&ペーストした者になるだろう。

神の目線から見れば、湖を汚染するのはよくない結果になることは自明だ。けれども、システムの中の単一の存在は湖の汚染を止めることができず、フィルターを買うのは合理的ではない選択肢として目に映る

 

4.マルサスの罠、もしくはその極端な限界状態。

たとえば、豊かで美しい無人島に初めてたどり着いたネズミたちがいて、あなたがその内の一匹だとしよう。その島はおいしい植物に満ちていて、あなたは十分に休み、よく食べ、そしていくつもの優れた芸術を生み出す理想的な人生を送る。(あなた達は『ニムの家ネズミ』に登場するような賢いネズミだ)

あなたは長い間生き、つがいとなり、一ダース(12匹)の子供を生む。そしてその子供達も一ダースの子供を生み、その子供達も……と続く。数世代後には一万匹ものネズミが住み着き、その島は生存限界へと達する。この時点ですべてのネズミが生き残るには食料と空間が不足し始め、必然的に総人口を一万匹に保つため、新世代のネズミの内の何パーセントかが死ななければならない。

あるネズミの派閥が、生存競争により時間をかけるために芸術を捨て、えさを探すのにより多くの労力を割き始める。毎世代ごとに、この派閥のネズミは芸術を捨てないネズミたちよりも少しだけ死ににくく、多く生き残る。これが繰り返されてある程度の時期がたつと、気がつけば芸術を作るネズミは一匹もいなくなり、ある派閥が芸術を復活させようとしても数世代ですぐに淘汰され絶滅してしまうことになる。

実際には芸術だけではない。主流のネズミたちに比べてどんな形でも、生存競争に偏った、より繁殖しやすく、より生き延びやすい行動をする派閥がいれば、いつかはその派閥のネズミ達が主流となり他のネズミたちを淘汰することになる。もしある利他的なネズミたちが、個体数の増加を押さえるために、子供の数をつがいあたり二匹にしようと決めたなら、圧倒的な早さで増加する他のネズミの群れたちにすぐさま飲み込まれるだろう。もしあるネズミ達が共食いを初めて、他のネズミたちよりアドバンテージを得ることができたなら、それはいつか完全に広まり、当たり前のことになるだろう。

あるネズミの科学者が、島の木の実の減少率が危険な域にまで加速していると発見した場合、いくつかのネズミの派閥が木の実の消費量を持続可能なレベルまでに押さえるため、消費量に制限をかけるかもしれない。そのネズミたちはより利己的な兄弟たちに競争で追い抜かれ淘汰されるだろう。結果、いつの日か木の実が枯渇して、ほとんどのネズミたちが死滅し、そしてまた「繁栄―競争―淘汰」のサイクルが始まることとなる。このサイクルにいかなる方法でも逆らおうとするようなネズミは、競争と生存に関係ない行動を時間の無駄だと切り捨てる兄弟達に競争で追い抜かれ、打ち負かされるだろう。

多くの理由から、進化というのは完全なマルサス主義とは違っているが、、他の事柄に適応して、根幹に潜む仕組みを理解することができる典型的な例を提供する。神の視点からして見れば、快適な少ない個体数を維持するのがネズミにとって最善策だといえる。システムの中の単一のネズミの視点からみると、一匹一匹のネズミは彼らの遺伝子的要求に答え続け、島では終わりのない「増殖と破滅」(Boom-Bust)が繰り返される。

 

5.資本主義

熾烈な競争の中にいる資本家を想像してほしい。彼は劣悪な環境の工場で労働者を働かせ、作った衣類を最低利益で売る。もしかしたら彼は労働者により高い賃金を与えたいと思っているかもしれない、もしくはより良い労働環境を整えたいと思っているかもしれない。しかし、彼はそれができない、なぜならそのためには製品の値段をあげないといけず、そうすればより安い値段で販売する競争相手に追い抜かれ、倒産してしまうからだ。もしかしたら競争相手の会社達も労働者に良い環境を与えたいと思っているかもしれないが、全ての企業が絶対に協定を破らず、必ず値段を下げないという完全な保証でもないかぎり、実現は不可能だ。

生存競争以外の価値観を徐々に全て無くしていくネズミたちのように、十分に苛烈な経済競争にさらされた企業達は、利潤最大化以外の価値基準を捨てることを強制される。さもないと、利益獲得のため最適化した他の企業達が同じサービスをより安い価格で提供することになり、競り負けるからだ。

(いったいどれだけの人間が資本主義を進化のシステムになぞらえることの価値を認めているかは分からない。競争に適した企業-消費者に購入したいと思わせることのできる企業と定義される-が生存し、拡大し、将来的に業績を得る。そして競争に不適な企業-だれにも買ってもらえない企業と定義される-は破産し、その会社DNAとともに死滅する。自然が血と牙と爪でできているのと同じ理由で、市場というのは無慈悲で搾取的なのだ。)

神の目線からなら、全ての会社が労働者にたいして十分な量の賃金を払うことができる優しい業界を、私たちは考案することができる。けれども、システムの中の存在では、それを実現することは不可能だ。

(モーラック 彼の愛は終わらない石油と石材だ! モーラック 彼の血液は流れる金だ!)

 

6 ダブルワークの罠 

優れた学区にある校外の家に住むための激しい競争のために、多くの人が他の価値観を投げ捨ててまで - たとえば家で子供と過ごす時間や、経済的な余裕など-    その家を購入するためだけに最適化してしまう。何故ならそうしないと、将来的にゲットー(スラム街)に追いやられてしまうという理論だ。

神の目線からすれば、よい家を購入するための競争で勝つために二つ抱えるようなことをしないと誰もが同意すれば、だれもがいままでと同等のレベルの家を購入することができ、一つの仕事だけでよくなる。システムの中からしたら、政府がダブルワークを禁じでもしないかぎり、ダブルワークをやめた瞬間に競争においていかれることになる。

(ロボットのアパートメントよ!見えない郊外よ!)

 

7農耕

ジャレト・ダイアモンドは農耕を人類の最大の間違いと呼んでいた。間違いであるかないかは別として、それは偶然ではなかった。単純に農耕文化は狩猟文化に対する競争に不可避で逃れることができないほど、圧倒的なまでに打ち勝ったというだけだ。古典的なマルサスの罠だ。もしかしたら狩猟文化はより快適で、寿命も長く、より人間的な繁栄が可能だったかもしれない。けれども、人間同士での十分に激しい競争にさらされたとき、たとえ多くの疫病と抑圧と不自由に満ちていたとしても、農耕社会は競争において優位であり、いつの日か全員が農耕社会をうけいれるか、そうでなければアメリ先住民族コマンチェ族と同じ道をたどるのだ。

神の視点からしたら、全員がより快適になる選択をして、皆が狩猟・採取文化にとどまるべきだったというのは簡単だ。システムの中の一つ一つの部族達からしたら、彼らの選択肢は農耕文化に移るか、死ぬかの選択肢しかない。

 

8.軍拡競争

大きな国は約5%から30%程度の予算を防衛費に回している。戦争がない状態 - 少なくとも最近の50年間ほどは実現している状態 - においてこの支出はインフラ、健康保証、教育、もしくは経済成長などに使えたはずの予算を吸い上げているだけに過ぎない。けれども防衛費に十分な金額をかけなかった国は、かけた国に侵略される危機に常にさらされることになる。よって、ほぼ全ての国はある程度の金額を防衛費にかけることになる。

神の視点からすれば、もっとも合理的な解決法は世界平和であり、どの国も一切軍事力を持たないことである。システムの中からの視点では、どの国も世界平和を一方的に強制することはできないため、結局どの国にとっても使われず格納庫に置かれ続けるだけのミサイルに金を注ぎ込むことが最善手となってしまう。

(モーラック 戦争の巨大な石よ! モーラック 彼の指は十の軍隊だ!)

 

9.癌

人間の体というのはお互いに調和して生きている細胞達でできており、生命体のより大きな利益のためにリソースをプールするはずである。もしある細胞がこの平衡状態から逸脱しリソースを自分自身のコピーのために注ぎ始めたら、そのコピーたちは繁栄し、他の細胞達に競争で打ち勝って体の支配者となってしまう。そしてその時点で全てを道ずれにして死んでしまうだろう。

神の視点からしたならば、最善の解決策は全ての細胞が協力しあい、全ての細胞を道ずれに死なないよう努力するべきだ。システムの中からだと、がん細胞は増殖し他の細胞を淘汰することになる。結果、免疫システムの存在だけが、常にがん化するインセンティブをチェックしている。

 

10.底辺への競争(Race to the bottom)

これは、管轄区が低い税金と少ない規制を約束することで事業を誘致しようとする政治的な状況を表す単語である。最終的には全ての競争の参加者が ①競争に勝つために最適化、つまり最低限の税金と規制だけとなる、もしくは ②全ての事業、税収、そしてそれに伴う多数の仕事を全てドブに捨てる(そしていつか、より「話が分かる」政府に置き換えられる)という二択を強制されることになる。

 

最後の一例だけがその名前を冠しているものの、これらの全てのシナリオはまさに「底辺への競争」だ。ある参加者が、共通した価値を犠牲にすることでより競争に適するようになると、同様に競争相手達もその価値を捨てなければ淘汰されてしまい、より必死でなりふりかまわない者達にとってかわられてしまう。

結果として、だれもが相対的に以前と同じぐらいの競争力を持つ状態に収束するが、犠牲となった価値はもはやどこにも存在しなくなってしまう。神の視線からば、競争者たちは共通の価値を犠牲にすることが悲劇的な結果になると理解しているが、システムの中からでは、協調が不完全なために悲劇は不可避なのだ。

 

 

次の話題に移る前に、いままでとは少し違うものの、興味深いマルチ・エージェント的な罠を見ていこう。このなかでは、完全な競争はある種の外圧などによってせき止められている - たいていの場合は社会的なスティグマだ。結果として、「底辺への競争」でない状態 - システムはある程度は高度なレベルで機能し続けることができる - が維持されているものの、完璧に合理的な状態を作るのは不可能で、常に膨大な量の資源がくだらない理由によってに投げ捨てられている。話の本筋に入る前に疲れさせるのもあれなので、ここでは4つの例だけを紹介しよう。

 

11.教育

僕の反動主義についてのエッセイの中で、今の教育システムに対する不満を書いた部分がある。

多くの人がどうして教育システムを再構築できないかと質問する。

だけど現在、生徒達の目標は最も就職に有利になる高名な大学に入って企業の人事に採用されることだ - 何かを学ぶか学ばないかには関わらず。

人事の目標は最も有名な大学の生徒達を採用することだ、何故なら問題が起きたとしても上司に言い訳ができるから - 大学が重要な価値を新入社員に与えているいないに関わらず。

そして大学の目標は何をしてでもUS newsやWorld Report rankingsなどの評価を上げ、より名高い大学となることだ - それが生徒を助ける助けないに関わらず。 

これは膨大な資源の無駄使いと悲惨な教育につながるだろうか?エスだ。

もし教育を支配するカミサマ(Education God)がいたらこの事に気がつき、現在の教育システムを大幅に合理化する教育政策を打ち出すことができるだろうか? エスだ!

けれども現実には教育のカミサマなんて存在しないから、結局教育や効率性と少しだけしか関連していない、おのおのの動機に従うことになる

神の目からしたら『生徒達はもし何かを学べると思った時だけ大学へ行くべきだし、企業はどの大学にいったかではなく本人の能力を基準に採用すべきだ』なんて言うのは簡単だ。システムの中からは、皆自分の動機に正しく従っているため、動機が変わらない限りシステムも変わることはない。

 

12.科学 

同じエッセイから、

現代の研究機関は本来生み出せるはずの最良の科学的研究を彼らが実現していないことを分かっている。多くの出版バイアスは未だに存在しているし、統計は怠惰によってしばしば的外れで不適切にしか行われず、再現実験は多くの時間がたったあとに行われるか、そもそも行われないこともある。

 

時々誰かがこんなことを言う。

『みんなが科学を改善できないほど愚かだなんて信じられない! やることと言えば出版バイアスを避ける為に研究の登録の時期を早めて、この新しくて効果的な統計技術を新しいスタンダードにして、再現実験を行う科学者によりよい地位を与えればいいだけじゃないか! とっても簡単な上、科学の進歩をとても進めやすくなるのに! きっと私は他の全ての科学者より頭が良いのだろう、だって他の誰もがこんな簡単ことに気づかないのだから!』

 

そして、うん。きっとが神ならうまくいくだろう。彼の一声で、全ての科学者は新しい統計技術を取り入れてくれるし、再現実験を行う科学者はもっとよい地位につくことができるだろう。

だけど神の眼からならうまくいく物がシステムの中からしたらうまくいく訳ではない。どの科学者も研究のために正確な統計技術をしようするインセンティブをもっていない、なぜなら「驚天動地」な結論を生み出にくくなり、他の科学者を混乱させるだけだからだ。

 

彼らにあるインセンティブは、他の全員が取り入れてほしいという物だけであり、その時点でやっと彼ら自身も導入するだろう。また、どの科学雑誌にも早期登録を取り入れるインセンティブはない。なぜならそれは、衝撃的で目新しい発見を載せる他の雑誌と比べて、地味でつまらない内容が載るということだからだ。

結局システムの中からしたならば、誰もが自分のインセンティブに従っているだけにすぎず、これからもそうしつづけるだろう。

 

13.政府の腐敗

僕は企業助成政策が(少なくとも原理的に)良い物だと考える人間はいないと思う。だけど政府は未だに毎年(計算の仕方にもよるが)約千億ドルを注ぎ込んでいる - 医療の額の約三倍だ。この問題に親しんだ人なら皆同じ単純な解決方法を思いついただろう: 企業へこんなに金を与えるのをやめれば良い。なぜ実現しないのだろうか?

政府というのは常にお互いに、当選や昇進するために争っている。そして当選可能性を高めるための最適化の一部には、企業からの政治献金を受け取るための最適化が含まれている - もしくは本当は含まれていなくても政治家達がそう信じている - としよう。企業への助成をどうにかしようとするまっとうな政治家は企業からの支援を失ってしまい、『余計なこと』をしない物わかりのよい競争相手に追い抜かれるだろう。

というわけで、神の目線からしたら企業助成は無くなったほうがよいと分かっていても、一人一人の政治家にとってはそれを維持するインセンティブしかないわけだ。

 

14.国会

統計によると全てのアメリカ人の内、国会が好ましいものだと答えたのはたった9%である。これはゴキブリ、シラミ、そして渋滞よりも低い数字だ。だけども、自分が応援する国会議員を知っている人の場合、そのうちの62%は、彼らのことを肯定的に捕らえていることが分かっている。理論的に考えれば、9%の承認率しか得られていないような議会が何期にもわたり民主的に選ばれるようなことはとっても難しいはずだ。現実には、全ての議員の間にあるインセンティブは、どれだけ自分の選挙区の有権者に媚びを売るか - そして他のことは全て犠牲にすること - であり、そのことには成功しているように見える。

神の視線からしたならば、全ての国会議員のは国のために行動すべきだ。システムの中からだと、当選することだけを目標に行動することになる。

 

 

 

 Ⅱ

ある根本的な原理が以上の全ての多極的な罠を包括する。

 

Xに関して最適化しようとする競争において、他のある価値を犠牲にすることでよりXを得ることができる機会があるとする。それを犠牲にした者は栄える。そして犠牲にしなかった者は滅ぶ。少しすると、全員の相対的な状態は前と変わらないが、絶対的な状態は以前と比べ悪くなっている。この行程は、Xに置き換えることのできる全ての価値が犠牲になるまで、つまり人類が全てをよりひどい状態にする方法を思いつかなくなるまで推し進められることになる。

十分に苛烈な競争においては(例1~10)価値を投げ捨てなかった者全てが死滅する - 芸術を生み出すのをやめなかった可哀想なネズミたちを思い出せば良い。これが有名なマルサスの罠であり、このなかでは参加者全員が『生存』するだけのための存在にまで削りとらされる。

不十分な競争においては(例11~14)において僕たちは、歪んでしまって失敗した合理化を見て取れる。より信頼できる科学に切り替えられない雑誌や、企業助成をなくすことができない政治家達を思い出してほしい。それは人を生存だけの存在にする訳ではないが、奇妙な意味で人から自由意志を奪っているのだ。

 

全ての二流作家や哲学者は自己流のユートピアを書いている。大部分は聞こえのよい者だ。というか、全く真逆の二つのユートピアが書かれていたとしても、両方とも現実よりもだいぶマシに聞こえるなんてこともざらにあり得ると思う。

名前も知らないどこぞのだれかが、自分達が実際に生きている現実よりも優れたユートピアを思いつくことができるというのは結構恥ずかしいことだと思う。そして実際に書かれたユートピアの内には多くの欠陥品が含まれている。大概のユートピアは多くの問題を見て見ぬふりをしているか、実行に移された瞬間、十分も持たずに崩壊するだろう。

だが、そんな問題が存在しない“ユートピア”をいくつか提唱させてもらおう。

 

- 政府が企業に多くの助成金を与えるのではなく、「少し」しか与えない世界

 

- 全ての国の軍事費が現実と比べ50%少なく、その分は全てインフラに使われる世界

 

- 全ての病院が同じ電子カルテを導入し、一週間目に別の医者がやったであろうテストを5000ドルかけてもう一度する必要がなく、直接検索して調べられる世界(筆者は医者であり、度々ブログで紙のカルテに関し愚痴を述べている)

 

このようなユートピアに「反対」するような人はあまり多くはないだろう。現実でこれらが実現されていないのは、人々がこれらの案を支持しないからではない。ましては人々がこの案を思いつかないわけでもない、なぜなら僕が簡単に思いついた物が今まで考案されなかったはずがないし、この“発見”が画期的だとか、世界を変えられるなんてみじんも僕は期待もしていない。

 

部屋の温度以上のIQを持つ人間だったら誰だってユートピアを思いつくことができる。

今僕らが生きるシステムがユートピアでないのは、それが『人間によってデザインされたものではないからだ』

 

君が乾燥した地形を眺めて、川が将来どんな形になるかを水が重力に従うと仮定すれば分かるように、文明をみて人々がインセンティブに従うということを予測すればどのような機構ができあがるかを予測できる。

 

だけどそれは、川の形が美しさといった人間の価値観のために作られた訳ではなく、むしろ乱雑に生成された地形の結果であるのと同じく、全ての社会的機構は繁栄や正義の為に作られた訳ではなく、ただランダムに決定された初期条件の結果であるということだ。

人々が地形を塗り替え、運河を作ることができるように、人間もより優れた機構のために、動機の形を作り替えることができる。だけど「それ」が行われるのは動機付けられた場合のみであり、いつもではない。結果として、むちゃくちゃな支流や激流なんかがとても奇妙な箇所に現れることになる。

 

僕は今からつまらないゲーム理論的な物から、僕が生きている内に経験した最も神秘的体験に近い物へと話を移そう。

全ての優れた神秘体験と同じように、それはラスベガスで起こった。僕はいくつある高い建物内の一つの頂上に立ち、暗闇の中輝かしく点灯している全ての町並みを見下ろしていた。ベガスにいったことがないひとの為に言っておくが、その景色はものすごく荘厳だ。あらゆる奇妙さと美しさを持った高層ビルとライト達が一つの街に集中している。

その時僕は、とても明快な二つの考えがあった。

 

 

「僕たち人類が、こんな物を生み出せるのは素晴らしいことだ」

 

 

「こんな物を生み出してしまったのは恥ずべきだ」

 

 

だって考えて見ろ! いったいどんな脳みそをしていれば、人の住めない北アメリカの砂漠の中心で、ベニス、パリ、ローマ、エジプト、キャメロットの40階もある室内レプリカを作り上げて、その中をアルビノの虎でいっぱいにするなんていうことが人類に残された限られた資源の、少しでも正気な使い方だと思えるんだ?

 

そして思ったのが、この地球上のいかなる思想であってもラスベガスの存在を肯定する物は存在しないだろうと。僕が資本主義を正当化するときに使うお気に入りの思想、唯物論にしても、その根本には資本主義が人の生活を良くするということに基づいている。ヘンリー・フォードは多くの人々が車を持てるようにしたから道徳的だった。じゃあベガスは? 大量のうすのろに大金をちらつかせ、金を吸い取るだけだ。

ラスベガスは何らかの快楽計算に基づいて文明を良くしようという決断によって建てられた訳ではない。ラスベガスは、ドーパミン作動性報酬回路における気まぐれ、環境における微細構造の不統一な規制、加えてフォーカルポイントが原因で存在している。

 

神の目を持っていて、なおかつ合理的な判断ができる存在なら、これらの情報を加味してこう考えるだろう。

「どうやらドーパミン作動性報酬回路は、。わずかに負のリスク便益比を持つ特定のタスクに対し、わずかに正のリスク便益比を持つタスクとに関連した感情価を得てしまう不具合があるらしい。全ての人がこれを知っておくように教育できるか試してみよう」

システムの中にいる人間は、これらの事実によって作られたインセンティブにしたがってこう考える。

「砂漠の中心に、40階もある古代ローマの室内レプリカを作ってその中を噴水とアルビノのトラでいっぱいにしよう。そうすれば他の人間よりもちょっとだけ金持ちになれるぞ!」

 

まるで、最初の雨が降るはるか前から地形の中に運河の流れが埋まっているように、カエサルの宮殿は存在する前から神経生物学、経済学、そして監督制度に潜んでいたにすぎない。設計した建築家は、半透明な幻影の線に従って本物のコンクリートを埋めていただけだ。

 

という訳で、僕達人間という種が持つ最高傑作の素晴らしいテクノロジーや認知的エネルギーは、貧相な進化を果たした細胞受容体と盲目な経済によって描かれた三文芝居を復唱するだけに無駄遣いされている。

まるで全能の神が、愚者に顎で使われているように。

 

いろんな人は神秘体験において神を見る。

ラスベガスで、僕はモーレックを見た。

 

(モーラック 彼の精神は純粋なからくりだ! モーラック 彼の血液は流れる金だ!

 

モーラック 彼の魂は電力と銀行達だ!  モーラック 彼の摩天楼は長い道の間に立つ終わりなきエホバのようだ!

 

モーラック!モーラックよ!ロボットのアパートメントよ!見えない郊外よ!骸骨の宝庫よ!盲目の都市よ!悪魔的な工業よ!幽霊の民族よ!)

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……花崗岩のペニスよ!

 

 

 

この記事はScott AlexanderによるブログSlate Star Codexの記事『MEDITATIONS ON MOLOCH』の日本語訳です。

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